「反対されても必ず作る」 水源地に降って湧いた計画

トークイベントの冒頭、議論するにあたり、経緯と問題点についてジンケン氏と藤原氏に説明してもらった。

産廃処理施設建設について、多くの村民にとっては今年の4月に村の広報に掲載された記事が第一報だった。広報の隅に小さく掲載された「一般廃棄物処理施設及び産業廃棄物処理施設設置許可申請等の縦覧について」という記事だ。

それに前後して村内では同施設建設についての噂(うわさ)話は広がり始めており、「もう決定したこと」「村が誘致した事業だ」などさまざまな情報が錯綜していたという。移住者を含む村の若者たちは、「感情的に反発するのではなく、まず事実を正確に知ろう」と力を合わせ、縦覧資料などを確認して事実関係をまとめた資料を村内に配布していった。要約すると次のような内容だ。

・村の誘致事業ではなく、民間の産廃事業者・比留間運送株式会社が村内の土地を購入し、自社の事業を拡充すべく都に許可申請をした。
・施設の規模は同事業者の現在の処理量の20倍、檜原村で出るゴミ41年分を1年で処理する量に相当する日量96トン。
・まだ決定ではなく、現在は「事業者が東京都に申請した」段階である。
・今後、すでに提出された村と利害関係者の意見書を踏まえて専門家会議で検討され、専門家会議の意見書を基に都知事が今秋までに最終判断をする。

一方、先立つ昨年11月27日、建設予定地がある檜原村人里(へんぼり)地区の住民に向けて小さな説明会が開かれていた。参加した住民らは事業者の「反対されても必ず作る」という強弁に直面。憤りを感じた同地区自治会の吉本昂二氏らが反対署名運動を3月に立ち上げ、その後のオンライン署名やデモなどの反対運動に繋がっていった。

人口2000人の小さな村でこうした運動を始めることは、実は難しい事情がある。血縁関係者によるネットワークが形成されているため、誰がどこに住んでいて誰の血縁なのか誰もが知っている。村全体の意思決定と逆の意見を表明すれば良くも悪くも地域内に知れ渡ってしまうのだ。11月の説明会から3月の署名運動開始までの時間、そして村議会議員の半数以上が意見表明をするまでに長い時間がかかったのも、こうした「互いの顔が見えすぎる状況」がブレーキになっていたのでは、と元村議の吉川氏は説明する。

環境専門家の藤原氏は、産廃焼却場建設計画について立地条件と施設そのものの問題点を次のように指摘した。

・地質学、地形学の専門家が建設予定地を調査し、「がけ崩れや土石流の災害が発生する危険性があり、産廃焼却場には不適地」と判断している。
・施設の稼働に必要な水の確保の計画に現実性がなく、湧水(ゆうすい)、沢水、雨水、地下水、上水を使ったとしても日量312トンの確保は無理があるだろう。
・「最新鋭の処理施設」を謳(うた)っているが、同等の施設での有害物質漏洩や爆発事故は全国で頻繁に起こっており、リスクは常にある。
・焼却によって発生する有害化学物質の測定は2ヶ月に1度〜年に1度程度の頻度で、有害重金属は規制がないので測定しない。
・本計画では「生活環境影響調査(ミニアセス)」をすることが必須となっているが、水質調査は対象外。しかし実際には煙突や施設から漏れ出た化学物質は雨水に溶け込むため、水質汚濁・土壌汚染の原因となる。
・水質以外にも、焼却場に付きものである景観の阻害、電磁波公害、土壌汚染、農作物汚染などの影響は評価しなくてよいことになっている。

そして、日本の法律は欧米諸国と比べても規制が緩く、環境汚染を防ぐのに不十分である点を厳しく指摘した。つまり、他に懸念材料があっても現在の法律で定められたいくつかの項目さえクリアすれば「合法」であり、都知事の裁量次第で建設を許可できることになる。(※詳細は後記本文内にて)

左からジンケン・藤原寿和・宮台真司

「〝僕ら全体の問題〟としてフレームアップし、法形成に繋げていく必要がある」(宮台)

 

このような状況を聞くと、昔の原発建設時の状況と似てるように思います。環境汚染がありそうですが、残念ながらそれを取り締まるような法整備もできてない状態で進められていることが気になります。宮台さんはどういう点が気になりますか。

宮台「2つ問題があります。第一は法律の問題。第二は住民運動の問題。第一からいうと、欧米諸国の国立公園法は〝観光客の数に応じて国が予算を付ける〟〝国立公園内で環境保護の法体系を別途作る〟などが標準ですが、日本の国立公園法にはありません。
〝国立公園を守る〟という目的を支える価値合意を、醸成しようというコミットメントが環境省にはない。そもそも国民にもない。ただの美しいレクリエーション場所です。他国では、国立公園法があるので、廃棄物処理施設を国立公園に造れません。国立公園法があるのになぜこれが立地できることになるのかが問題です」

ええ。

宮台「次に住民運動です。問題の帰趨(きすう)を決めるのは、住民らが連帯してどんなふうに機能できるのかです。今回押さえておくべきなのは、産廃事業者が村民の私有地を買ったことです。どれだけの金が売主の懷に入ったか。施設誘致で誰にどれだけ金が落ちるのか。それらが問題になります。
そこから、誘致を巡る地元の利権ネットワークが、村議会にどれだけ影響を与えているのかが見極められます。この辺りをきっちり押さえることで、〝誰の利益が尊重され、誰の利益が無視されるのか〟という民主主義の最重要問題が露わになり、今後他の地域が運動するときの参照点になります。
今回は、業者が都に申請して都が許可するという建て付けです。檜原村の村議会が反対決議しても、都がそれに応じるのかわからない。だから都との連携が重要になります。さもないと、村議会で決議しても都が許可するとか、決議前に許可することがあり得ます。
だから、都民全体を巻き込む形で、東京都の環境局がそういう動きをできないようにする必要があります。産業廃棄物処理施設はどこかには造らなければいけない迷惑施設。だから、昔からよくある〝迷惑施設の押し付け合い〟のようなものになってはいけません」

「Not In My Backyard(NIMBY:我が家の裏庭には置かないで)」というやつですね。

宮台「そうです。だから、迷惑施設問題での住民運動は、周辺地域から〝地域エゴだ〟と糾弾されないように、地域に留(とど)まらないネットワークでの動きを展開することが、どうしても必要になります。さもないと、都が〝どうせどこかに造るのだから、過疎地に造ろう〟となります」

そこで疑問なのですが、どこかに産廃処理施設が造られなければいけないのだとしたら、「なぜ水源地である檜原村なのか」ということについて、事業者は十分な説明を住民にしてくれているんでしょうか。

ジンケン「説明されていないんです。もし廃棄物焼却場がなくても成立する世界があればもちろんそれを目指すべきだとは思うんですけども、でも現状はどこかに造らなければいけない。しかし、あるべき社会の姿とか、檜原村に造ることの意味などについて説明もなく、議論された形跡は見当たりません。そこに住民は憤りを覚えているんだと思います」

藤原「どうしてもどこかに造らなければいけないとすれば、やはり過去に問題を起こしたものと同じ設備は造るべきではないので、そのためには既設の設備について実態調査・実績をきちんと調べなければ本当はわからない。
この点では、日本と欧米では環境に対する行政や市民団体の取り組みでだいぶ違うところがあります。例えば欧米ではグリーンピースという団体が、焼却施設でどういう問題が起きているのか、特に周辺で発生しているさまざまな健康被害についても調査して報告書として公表してるんですね。ところが日本ではそういった調査が全く行われてないと言っていいです。これも問題の1つではないかなと考えています」

基準となるものがない中で「安全だ」と言っているということですね。

藤原「〝一応法律はクリアしています〟という言い方でまかり通っています。日本の法律自体が欧米に比べると非常に緩いです」

宮台「欧米の法律は、特に1960年代以降の環境保護運動に対応する形で整備されてきた流れがあります。日本でも60年代に多くの公害があり、法律もいくつか作られたのですが、その後、残念ながら環境保護法制の妥当性を議論しないままここまで来てしまいました。
そこでは〝日本人の劣等性〟が大きな機能を果たしています。具体的には〝〈パブリック〉つまり〈自分の所属集団だけではなくて全集団(つまり全員)が乗っかっているプラットフォーム〉にちゃんとコミットしよう〟という価値観が元々ないということです。
武士が支配層である幕藩体制がうまく機能してきたので、お上を頼れば何とかなるという構えが、江戸時代に一般化したのです。だから欧米と違って、日本で公(おおやけ)というと、お上──今なら政府──を指すようになってしまいました。〝滅私奉公〟という言葉が象徴的です。
公として〝見ず知らずの全員が乗っかるプラットフォーム〟を意識する集団を〝社会〟と呼べば、日本に社会はありません。でも、生活形式の類似を前提に、地縁共同体の同心円的な拡張で〝世間〟を創造しました。日本では、世間が社会に似た機能を果たしたのです。
ところが、一方で地縁共同体がスカスカになり、他方で内外の生活形式の類似を前提にできなくなって、社会がない上に世間も消えて人々が野放図になりました。その結果、〝沈みかけた船の座席争い〟に淫(いん)する損得マシーンが大多数になったのです。かくて〝日本人の劣等性〟が〝日本の劣等性〟として露呈しているのです。
欧米では、環境に関して〝こんな新しいデータが得られた〟〝こんな新しい問題が生じた〟となると、それを受けて大勢が〝子々孫々まで良きものとして残すために、自分や所属集団の利害には多少反してもちゃんとしなきゃ〟という価値貫徹の営みを始めます。
それで、日本とは対照的に、次々と新しい環境法制ができ、パブリックな価値観を持ない人が批判されたりします。日本では、落選の危機に直面する場合を除くと、議員が自発的にそうした方向に乗り出すことがなく、それどころか、議員に落選の危機をもたらす住民世論自体が、そもそも起きにくいのです。
だから、檜原村などの個別の住民運動を通じて、日本人一般にどんな価値観が欠けているのか、それがどんな法律の抜け穴を作り出しているのかを、炙(あぶ)り出さなければなりません。以上のように、〝法律に合致していれば問題がない〟などということは、環境行政においては、あり得ないのです。
どこの国でも、〝従来の法律に従っているだけでは環境を守れない〟というところからさまざまな反公害運動や自然保護運動が生じ、結果として法律が作られてきたのです。だから、檜原村の問題は、檜原村の問題であると同時に〝僕ら全体の問題〟としてフレームアップし、法形成に繋げていく必要があるわけです」

中川「檜原村に造る理由がちゃんと説明されていないという話ですけど、私のボーイフレンドは建設業で働いていて、どちらかというとこういった産業廃棄物処理施設を東京都などから頼まれて造る側の立場です。この檜原村の問題について知った時に、市街地に造るか、山奥に造るかと聞いてみたら〝山奥に造る〟と話していました。やはり市街地の方が反対運動が大きくなるからだと。これを聞いて沖縄の米軍基地の問題にも似ていると思いました。以前は本土にも基地はたくさんあったのに、事件・事故が起こるから米軍基地は撤退しろと反対運動が昔あって。それでも無くせないから沖縄に移していって、今は(在日米軍基地の)70%以上ですか、沖縄にあるじゃないですか。それと結構似ている。だから多分、なぜ檜原村に造るのかが説明されないというのは、檜原村に造れば村の人しか反対しないだろうし、あまり見えないし、というのが本音だと思います」

宮台「その意味で、業者から見て、過疎地では民主主義をコントロールしやすいことがあります。原子力発電所の立地プロセスを考えてみるとわかりますが、業者からすれば当然のことです。まず、反対運動も小さいし、事故があっても問題が小さいという理由で、過疎地が選ばれます。
次に、過疎地など昔を引きずる地域は、①首長と②有力議員と③地元有力者のコネクションで全て動くので、コネクションを手なずければ、簡単に町村議会レベルの合意が調達できます。つまり、町村議会レベルで二元代表制が機能せず、代わりに①首長と②有力議員と③地元有力者のコネクションが、全てを引き回してきました」

左から宮台真司・中川えりな

「やっぱり住民が決めるというのが本来の地方自治の姿」(吉川)

さて、ここからは法律の専門家半田先生と元村議の吉川さんに加わっていただきます。まず半田先生から、手続きの問題を含めて少しお話をしていただけたらと思います。

半田「今回の産廃処理施設の計画は、現在は事業者が東京都に申請をし終えた段階です。特にこの後に行われる審査や、許可の段階について説明していこうと思います。
流れをおさらいしますと、廃棄物処理法ではまず事業者が廃棄物処理施設を設置するにあたって計画を立てて、許可をもらえるように役所回りをします。そしてさらに生活環境影響調査(ミニアセス)といって、周辺の生活環境にどういった環境影響が出るのか、それからその環境影響を予測・調査・評価して、それをいかに低減できるのか調査をします。そして諸々の手続きが済んだ段階で、申請書を東京都に出して、その申請が告示といって公表されます。そして1ヶ月の間いろんな人の目にさらされます。この告示がなされた段階から利害関係を有する者は意見を出すことができて、さらに今回の場合は村が独自に意見書を提出することができます。そして意見書の提出が終わったら、今度は東京都の場合は専門家会議があり、こちらで生活環境影響調査(ミニアセス)の結果や利害関係者から提出された意見書の内容などを元に会議がなされます。廃棄物、水質、大気などそれぞれの分野の専門家で会議をします。そして専門家会議でまた意見書が作成され、それをもとに都知事が許可を出していいのかどうかという判断をします。
具体的に許可はどのように出すのかというと、廃棄物処理法には〝許可要件〟というものがあります。技術的な基準や数値で分かる要件の他に、〝生活環境への配慮がなされているかどうか〟という要件があります。これは生活環境影響調査(ミニアセス)の結果や、皆さんから出された意見書の内容などを踏まえて判断されます。もう1つ重要なのが〝欠格事由に該当しないこと〟という要件です。欠格事由とは何かというと、事業者が暴力団関係であるとか、今回重要なのは不正を行うおそれがあるかどうか。不正がある場合には欠格事由に該当するという判断がなされます」

なるほど。

半田「ここで重要なのは〝許可要件にあたるかどうかの判断〟は都知事が行わないといけないところです。つまり、要件に当たらないという判断をすれば、許可は出ないということになります。先ほど言ったように〝生活環境への配慮ができているか〟とか〝不正を行うおそれがあるかどうか〟というのはかなり幅が広い要件ですよね。そういった幅広い要件のことを〝裁量がある〟と表現します。少し法律的に説明すると、要件にあたるかどうか判断するところで幅があることを〝要件裁量〟があるといいます。そして、許可を出すか出さないかについて幅があることを〝効果裁量〟があるという表現をします。今回、産業廃棄物処理施設は〝効果裁量はない〟と一般的には説明されていますが、〝要件裁量はある〟ので、その点はぜひ覚えていただければと思います」

「要件裁量」があることによって、都知事は許可を出したり出さなかったりできるということですね。民主主義という観点からはどういうことが言えますか

半田「民主主義というテーマに沿って、僕からは住民参加というところにスポットを当てて説明したいと思います。
〝環境〟と言った時に、僕は3つ領域があると思っていて、1つは〝個人それぞれの持っている環境〟。例えば家庭環境や労働環境。それからそれぞれの健康。そういった個人の環境問題があります。2つ目は地球環境のような〝自然環境〟です。例えば気候変動の問題とかが大きく取り上げられていますけれども、気候や生物多様性、そういった大きな環境問題があります。そして、その中間に位置付けられるのが3つ目の〝地域の環境〟です。例えば地域には文化があります。伝統芸能や、里地や里山のような地域の豊かな自然もあって、それぞれ3つの領域が重なり合っていると思います。
〝個人の環境〟は自分たちで決定できますよね。それに対して自然環境や地域の環境というのは、本当はその地域に住んでいる人が自分たちの意思でどう利用するか、あるいはどう保全するかを決めていく権利があるはずです。しかし、今回の問題の経過を聞く限り、地域住民の声はほとんど反映されていないのではないでしょうか。東京都は〝許可申請が出されたら許可を出すしかない〟と説明し、村は〝許可権限があるのは都知事です〟と説明します。地方公共団体は、憲法が保障している地方自治に照らせば、地域に密接な利害関係を持っている〝住民〟の声をより近くから汲み取るためにあるはずなのに。それでは地域の民主主義、地方自治、住民参加というのはどうやって実現されるんですか? それが議論の大きなポイントになるかと思います」

ええ。

半田「一応、廃棄物処理法の中でも住民参加を反映しようという手続きはあります。それが生活環境影響調査(ミニアセス)です。これは法律の改正で入ったんですけれども、やっぱり廃棄物処理施設を設置するにあたって住民の理解を得ることは大事だ、という議論があって加えられました。生活環境影響調査(ミニアセス)の手続きというのは調査をするだけじゃなくて、住民の声として意見書を出せるようになったというところがポイントです。今回も意見書を書くための学習会を実施したり、いろんなことをやってきました。
ここで、この檜原村の産業廃棄物処理施設設置問題でどのように住民参加を実現しようとしたか、住民の方々がどのように動いていったか、というところを伺いたいと思います。例えば、廃棄物処理法の枠組みでは説明までは義務付けてはいませんが、実際には村から求めて説明会が実施されるようになりました。そこまでの間に住民の中でどういった運動があり、どういった声が上がっていたのでしょうか」

ジンケン「反対運動の前の段階として、やはりまだ私たちが参加したり議論する余地がある、議論しなきゃいけない、ということを喚起するために〝まずは自分たちで調べられることを知って、みんなで共有しよう〟ということをやりました。有志の一人がFacebook で『檜原村の産業廃棄物焼却場問題を考えるネットワーク』というページを作り、そこに自分たちが調べて学んだ知見を集め、それをチラシにして印刷し、有志で村内の約900世帯に手分けして配ることで、SNSやFacebookをやっていない村の人たちにも届けました。
それと並行して、僕たちが知る少し前から、反対署名を集めようと村内を回り始めていた産廃処理施設建設予定地の近くの自治会と連携を取りました。それから、この後お話いただく吉川さんが最初にオンライン署名のChange.orgを立ち上げられていましたので、比較的インターネットやSNSに慣れたメンバーが協力しながら広げていきました。そういうのが最初の動きだったと思います」

吉川「そもそもの始まりは、事業者が建設を予定している地区の住民に向けて説明会をした昨年の11月27日です。その日に説明会があったことはほとんどの人は知りません。しかも私が問題だなと思う点は、説明会には村の行政の担当課長はじめ、3人の行政の職員も行っていたのに、その情報が議会の方に知らされなかった。こんなことがあったら通常の議会だったら議員全員が怒ります。重要な説明会なのになぜ議会事務局を通じて全ての議員に知らせなかったのか、職員も行っていたじゃないか、と普通なら紛糾します。しかしそうはならなかった。
そして、産廃処理施設建設予定地の近くの自治会の方が、これはおかしいと署名活動を立ち上げたのが3月ぐらい。3月というと、事業者は3月1日にはもう申請を出しています。申請を出すということは、申請を受け付ける段階では事前協議でクリアすべきものを全て整えた後ですから、申請を出された段階で、行政手続法と東京都の条例に従っていけば、そのまま通っていくことになります。そこにブレーキをかけられるのは専門家会議や住民からの意見書で、それを業者の人がどう受け止めるかということです。
法律で決められている生活環境影響調査(ミニアセス)ではあくまで生活にどう影響するかという調査なので、オオタカやクマタカなどのいわゆる東京都の希少動物や植物の生息地が10メートル先にあってもそういうことは調査しなくてもいいことになっています。地域の環境はやっぱり自分たちが一番わかってるわけですが、その調査の決定権が都知事にあるし、ザルのような法に従ってどんどん進められる。これはおかしいんじゃないかと私は思います。やっぱり住民が決めるというのが本来の地方自治の姿であると思うんですよ」

半田「お話を聞いていると、最初は限られた情報だったところから、住民の有志がどんどん情報を集めていって、それを他の住民に伝えたり、SNSで住民以外の人たちに発信して繋がりを作りながら廃棄物に関する情報が集まってきたと思います。しかし本来、事業者からの説明会は事業者から情報を公開して議論してもらうための場であり、唯一の機会だと思うんです。その機会は機能していたのか。事業者は自分から情報公開しようとしたのか、非常に気になるところです」

ジンケン「まず、法的にしなければいけない説明会というのは11月に開かれた会が該当すると思うのですが、それはその地区の人に限られていて、ほとんどの村民は知りませんでした。村民から声が上がってはじめて、村役場から事業者に説明を求めたようです。各自治会単位で日程を決めて説明会をやるというお知らせが届きました。でも〝説明したくないんだな〟というのがすぐ分かりました。当初配られた説明会のチラシには〝産廃〟という文字が入っておらず、このチラシを受け取っても〝自分には関係ないから聞かなくてもいい〟と思った村民もいたんじゃないかと思います。指摘したら、その後の説明会の資料は〝産廃〟という文字が入ったものに作り直されました」

そうなんですね……。

ジンケン「また、各地域その自治会の人しか参加できませんということが当初書いてありました。僕らは例えば技術的なことを説明されてもわからないので当然専門家の方に入っていただきたいし、あるいはその日は都合が悪いから代理人に行ってもらいたいとか、そういう要望があったんですけれども、それは一切駄目ですと。できるだけ少ない人数で、説明したというアリバイを作ろうとしていることがすぐに分かりました。
実際に説明会で話されたことを総合してみると、やはり一方的に説明するだけで真摯(しんし)に向き合おうという姿勢がみられず、そもそも檜原村のことについてほとんど何も知らないまま計画しているという事がわかってきました。住民がどんな反対をしても〝造る〟という反応しか返ってこない。そんな説明会でした」

左下から時計回りにジョー横溝・半田虎生・吉川洋・吉本昂二(反対署名運動を立ち上げた村民の一人。村の状況を説明するためにこの日も客席より登壇し発言してくれた。)

「正しいことを価値的に貫徹するには、〝ロールモデル〟が要る」(宮台)

最初の説明会は村議の人たちも知らされず、本来なら紛糾するはずだったというお話について、この反対運動を僕も調べていると住民の方々は声を上げているけれど、どうも議会の声が聞こえて来ないなという気がしています。また、村長の態度もよくわからない。本来、民主主義として一番機能しなければいけない村議会が機能しているように見えないのですが、これをどう考えたらいいのでしょうか。

ジンケン「村民の署名が集まりつつあった頃、藤原先生を招いて村議9人のうち、有志4人の主催で勉強会を開きました。その時点ではまだ反対運動というわけではありませんでしたが、4議員はその後明確に反対の立場を取りました。一方、僕の肌感覚では他の村民の誰に聞いてもほとんどの人は反対と言っているのに、残りの5人の議員はなかなか態度表明をされずに時間が過ぎ、ごく最近になって全員反対と表明されました。何かを決める時に4人じゃ何も決められないので、住民としてみればもどかしさがすごくありました。態度表明に時間がかかったのは、ここで反対表明するとどういうふうに見られるかというのを〝見合っている〟感じでした」

吉川「二元代表制は全国のほとんどの地方議会では形だけになってます。市町村の首長や知事も含め、自治体の長に対しては逆らうよりは一緒になってやった方が自分は政治的に有利であり、それがイコール自分を支えている住民のプラスになると思っている人もいるわけです。本当は議会というのは合議制で、首長に対してもきちんと対案を出したり議論したりする場であるはずですが、そうなっていない。1つの政党なり会派なり個人の議員なり、そういうものが身に染みついてしまっているように思います。これは檜原村に限ったことではありません。この構造こそ壊していかなければいけないのではと思います」

「顔の見えすぎる民主主義」問題ということなんでしょうか、宮台さん。

宮台「僕は、福島第一原発事故後、『原発都民投票条例の制定を求める住民直接請求』の請求代表人として法定署名数を集めて、条例案を上程しました。この時に僕が訴えたのは、〝これは〈脱原発の〉運動ではなく、〈民主主義の〉運動だ〟ということでした。
それはジンケンさんのお話と同じです。まず、事実を知る。次に、住民間のコミュニケーションをへた上、最終的には各個人が考えを決める。〝まず、事実を知ろう〟から始めることは、〝賛成派・反対派に分極化した状態〟を前提にしないという意味で非常に重要です。
だから僕は、街頭の署名活動で、〝原発賛成の方々こそ署名して下さい。何が合理的なのかを、開示された情報を元に皆で話し合って考えることで、原発推進か脱原発かという立場の違いにかかわらず思い込みをやめるのです〟と言い続けました。それで〝私は原発推進派だけど、いい?〟と大勢が署名してくれました。
日本人は〝ヒラメ・キョロメ〟で上と周囲を窺(うかが)い、ポジションを失わないよう発言します。顔が見えすぎると、なおさらそうなりがちです。そこでの問題は、地域の子々孫々に至るまで決定の合理性を語れるのかということです。そのマインドかあれば、そこには例外的に〝社会がある〟ことになります。
当たり前ですが、子々孫々も共同体のメンバーです。彼らに良きものを残すべく皆で考えるのが、共同体自治です。お上頼みの日本には、その伝統が希薄です。だから、〝隣人とのコミュニケーションを通じて固めた考えを、最後に表明する機会が選挙だ〟という民主政が前提とする構えを持つ日本人は、ごく少数なのです」

ええ。

宮台「次に、具体的にどういう戦略が必要なのかを話します。先ほどジンケンさんから説明会に外部の人を入れることが許されなかったという話がありました。これは業者の経験知なのですね。業者としては、まず、ハンドリングしやすい範囲に問題を小さく収めたい。
また、業者としては、住民たちが〝知識社会化〟しないように、つまり知恵がつかないようにしたい。外部の人たちが入ってきて知恵をつけられると、合理性を説得できなくなるからです。ということは、これを逆向きにして、業者が嫌がるようにすればいいだけなのです。
外部の知恵の導入による知識社会化で、人々が簡単に丸め込まれなくなれば、業者の説明には合理性がないことが誰の目にも明らかになります。それをできるだけ外に発信し、こんなでたらめな事が起こっているぞと外部を巻き込むのです。そうすれば、SDGsの時代、業者にもブランディングがあるので、企図を挫(くじ)けます」

なるほど。一方で、事業者側の論理としては「ただ仕事を遂行すること」だけを考えていて、反対運動をする村民の切実な訴えも響きにくい可能性があります。立場の違う相手に考えを変えてもらうことは難しいことかと思いますが、それはどう考えれば良いのでしょうか。

宮台「パブリックマインドは全市民が持つべきものだ、というのが欧米の規範です。だから、仕事上やらざるを得ないからやる場合にも、〝会社員である前に自分は市民だ〟ということで、会社員に〝なりすまし〟をしながらいろんな戦略を考えることがあり得るのです。
例えば、〝うちの会社の弱点はこういうところだから、そこを突けば、会社としてもゴリ押しできなくなるよ〟という内部情報を、住民にこっそり知らせるやり方が、それです。オピオイド問題を描いた映画『DOPESICK』『クライシス』などにもそうした存在が描かれますね。その点、日本の問題は〝社畜〟が多いことです。社畜の定義は、〝会社でのポジション取りにしか関心がないクズ〟です。その逆が〝パブリックなプラットフォームにどれだけ貢献してきたのかという価値関心を持つ存在〟です。つまりパブリックマインドを持つことです。
ただし、今後の日本では、パブリックの保全は、マクロにはますます難しくなるでしょう。〝貧すれば鈍す〟で、日本は経済指標から見ても社会指標から見ても垂直降下しつつあるからです。平均賃金・最低賃金・一人あたりGDPなどの経済指標から見たら、日本はとっくに先進国ではありません。
家族や地域の絆を示す社会指標も圧倒的に劣化しました。社会が劣化すれば経済の活性化は無理です。だから日本が回復する可能性はマクロに見れば長期的にもゼロです。そんな中で、〝全体は落ちるが、自分たちは落ちないぞ〟という構えが、共同体自治を可能にします。
つまり、〝自分たちのことは自分たちで決める〟というマインドセットです。そこには、正しさへのコミットが要ります。でも、コミュニティに閉ざされた人間関係では、周囲に適応した方が楽だと思いがちです。〝価値的貫徹〟より〝学習的適応〟が優位するというのが、近代社会から見た日本人の劣等性です。
周囲に学習的に適応せずに、正しいことを価値的に貫徹するには、日本人に限っては〝ロールモデル〟が要ります。〝あの地域ではこういうふうにして自治的共同体の樹立に成功した〟といったロールモデルを、参照可能な形で作っていくことが、戦略的にとても重要になります。 檜原村でも同じです。〝檜原村ではこうした結果こうなりました〟という誇れるロールモデルを作ること。〝マクロには日本が垂直降下しても、ミクロには地域が引きずられて落ちないでいられた〟という、成功した共同体自治のロールモデルを、拡散するのです。
こうした営みは、日本全体にとって公共的な参照点を与えるという意味で、非常に大きな意味を持ちます。檜原村が参照点になれば、多くのコミュニティがそれを参照して、自分たちの幸いに向けた共同体自治を展開できるようになります。檜原村が人々に語り継がれることになります」

ここで半田先生に伺いたいのですが、この建設計画を実際に止めていくという時に、今後は専門家会議と東京都知事の決定を待つということになります。司法あるいは法律的に、例えば檜原村で何か条例を作って止めるといった方法はあり得るのでしょうか。

半田「まず法律的な観点からですけれども、11月の説明会の際の〝どんなに反対があっても作るんだ〟という事業者の姿勢は、地方自治・地方の民主主義を全く無視したものであり、まさに先ほど説明した〝欠格事由〟のところにばっちり当てはまると思います。
ただし、その判断をするのは都知事なんです。もしかしたら都知事が〝それは抽象的な話だから〟などと言って結局〝欠格事由はない〟と判断をするかもしれない。その一方で、住民の声が大きくなることや、都民や全国からの声が集まって世論が変われば、議会や行政を動かすということもあり得ます。実際、最初は反対の色を示していなかった村議さんたちも最終的には全員が反対を示しました。
そういう観点からは、例えば〝許可の権限は都だけれども、そこに至るまでに説明会をちゃんとやってくださいね、住民に向き合ってくださいね〟という手続き条例というのを作ることも考えられると思います。今回の事案に適用できるかわからないですけれども、第二、第三の事例を作らないためにもそういった手続き的な規制を作ることはできるわけです」

なるほど。

半田「それから今後許可を出す都に対して〝判断権を持っているのはあなたです。住民たちの声、住民から出た意見書、専門家会議の意見書を踏まえて、村の声に向き合って判断をしてください〟といった圧力をかけていくことです。
司法は最終的な役割になりますが、司法からの働きかけは許可が出た後がメインになると思います。許可が出た後、それを取り消す訴訟であったり、建設を差し止める訴訟であったり、そういった役割になります。
今回はさまざまな情報を住民自身が集めて、さらに専門家が携わって公開されている資料を分析して議論に晒(さら)すことができたわけですが、そもそも情報が出てこないということもあります。そういう時にはやはり弁護士もサポートしながら情報公開請求をして、情報をどんどん集めていくことが必要な場合もあると思います。とにかく情報の格差をなくす、最初は全くなかった情報をどんどん住民側につけていく。それによって初めて民主主義というのはうまく機能するのかなと思っています」

民主主義は、ダウンサイジングをしていけば機能するかなと思っていたらそう簡単なものではなくて、日本にはそもそもパブリックマインドが欠如している。そこが欠如したままだと、共同体の人数を小さくしたからといって簡単に民主主義が回るわけではないというようなことも忘れてはいけないのかなと思います。宮台さん、今回の議論でどう思われましたか?

宮台「例を出します。最近他界した僕の父親は、キリンの医薬事業部を米国に渡って立ち上げた人です。今は医薬事業部門が飲料部門よりも大きくなり、会社にものすごく貢献しています。でも、定年退職して30年以上経ち、父を覚えている人は一人もいないのです。
つまり、皆さんがビジネスパーソンとしてどんなに頑張っても、会社や役所のようなアソシエーション(組織集団)では、個人はあくまで入れ替え可能なパーツにすぎません。どんなに貢献しても、会社を辞めた後に長く覚えられていることはありません。僕は寂しいと感じます。近年、オリンピックで〝レガシー(遺産)〟という言葉が流行ったけれど、〝自分は確かに存在した〟という証しを残せるのは、会社ではなく〝地域〟においてだけです。なぜなら、地域だけがアソシエーション(組織集団)ではなくコミュニティ(共同体)であり得るからです。さらに、環境倫理学者ベアード・キャリコットに言わせれば、人間は〝場所〟との関係においてだけ尊厳を保てるし、レガシーも残せます。彼によると、場所とは〝生き物〟です。人の人生より長いスパンで生きる場所という生き物は、人の都合で切り刻むと、死にます。
逆に、生き物としての場所を保全できれば、孫世代の人たちが〝檜原村って良い村だよね〟と言った時、父母や祖父母が〝今でこそ良い村だけれど、昔はとても大変なことがあって、その時に克服して今の檜原村に繋げた人たちがいるんだよ〟と語り継げるのです。
かつて努力した先祖たちが、檜原村の中興の祖として伝説的に語り継がれることが、地域にはあり得るのです。地域は、会社みたいな組織集団ではなく、共同体であり得るというのは、そういうことです。ただし、昭和の時代には、会社や役所が疑似共同体だったので、会社でもそんな語り継ぎがありましたが、今はまったくありません。
日本にはパブリックがないと言いました。それはこれからも当面は変わりません。でも、コミュニティの伝統はあります。コミュニティにレガシーを遺し、レガシーを遺すことでレジェンドになるという道を選ぶ。若い皆さん、各所でチャレンジしてみてはいかがでしょう」

村の外の人間に何ができるのか

「東京都の水源地『檜原村』に、産業廃棄物焼却場を建設しないでください!」
オンライン署名には現時点(2022年8月21日)で9848人の名前が集まっている。

檜原村で宿を経営する鈴木さんは村の外と内を行き来しながら反対活動に参加している一人。声を集める上で、具体的に都知事を動かすには10万人は必要と考える。「数字で言うと5万以上10万未満ぐらいは必要で、8万ぐらいを超えると知事の判断に影響を及ぼせる。20万くらいいけば確実になるのではないか」。実際に檜原村に観光に訪れる人数は年間20万人と言われる。さらに、産廃処理施設建設予定地を流れる秋川が注ぎ込む多摩川流域の住人たちは数百万人規模になる。村で開催されるイベントなどの機会を生かして直接声を集めながら、こうした間接的な関係者に訴えていくことも重要になるだろう。
また7月9日には「檜原村の産廃施設に反対する連絡協議会」が設立。『東京新聞』(2022年7月13日付)によると協議会は今後、産廃焼却場に関する情報収集活動や学習会の開催、行政や議会への働きかけなどを行う。活動への協力や情報発信で支援することもできそうだ。

【関連サイト】
■Twitter: https://twitter.com/SaveHinohara 「檜原村に産廃焼却場を建設しないでください
■Facebook: https://www.facebook.com/genryuhinohara/ 「檜原村の産廃施設に反対する連絡協議会」
■オンライン署名:change.org/SaveHinohara 「東京都の水源地『檜原村』に、産業廃棄物焼却場を建設しないでください!」
■「SAVE HINOHARA 東京の水源地『檜原村』を大規模産廃焼却場から守れ!〜『顔の見えすぎる民主主義』から日本の未来を考える〜」(2022/06/28 開催):https://www.youtube.com/watch?v=EWDWwRxe3KY