鴻上尚史 コロナ禍から見えた課題「僕たちは〝個として賢くなる〟しかない」
特集「コロナ禍と表現者たち」06
演出家で劇作家でもある鴻上尚史が主宰する『虚構の劇団』は、5月の公演をもって活動休止が予定されていた。しかし、このコロナ禍で公演は中止。中止となると、チケット代の払い戻し、そして俳優やスタッフへのギャランティ、会場によってはキャンセル料が発生するため、大きな損失を被ることになる。そんな状況下において、演劇界が「自粛要請には休業補償を」との声を上げたことに対し、「世間」は大きく反応した。その渦中にいた鴻上が、このコロナ禍で見えてきた課題について語ってくれた。
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- 09 Sep 2020
戦時中と相似形をなすコロナ禍のニッポン
コロナの影響はいつ頃から感じましたか?
「5月中旬から『虚構の劇団』※の公演を予定していて、その頃にはなんとか状況も変わっているだろうと4月いっぱいは人数を減らして稽古していたんです。だけど、5月4日に緊急事態宣言の延長が発表されて、これは無理だろうと公演中止にしました」
経済的な損失というのはけっこうな額になるんですか?
「けっこうなものですね。前例がないので、未だに計算しています。公演中止で収入はゼロになったけど、それまで働いている人たちがいるし、俳優さんも稽古しているからゼロというわけにはいかない。だったらいくら払うのかっていうのもわからないから、演劇界的には大騒ぎでした」
音楽業界も大打撃ですが、「ロックなんて、国から金を出してもらってやるもんじゃない」とふんばっている方の声も聞いたりしました。
「良くないよねぇ、そういうアーティストの良い意味でも悪い意味でも突っ張っている感じは。僕は宣言が出た時から『自粛要請には休業補償を』とツイッターで盛んに言ったけれど、演劇人からも『国から金をもらってどうするんだ』という声が上がりました。まさか僕はこの21世紀に『税金と年貢は違う』みたいな原稿を書くとは夢にも思わなかったんですよ。『税金は公共財や公共サービスの経費として国民が出すものです。年貢はみつぎものです。国民が苦しんでいる時、払った税金を求めるのは当然の権利です。年貢は違いますね。返してもらえないものですね』っていうツイートもしました。
ロンドンの演劇界は、政府が自粛を言い出した時に、自粛ではなく正式に閉鎖の命令をして補償をしてほしいと強く発言しました。その後ロックダウンをして、この7月にイギリス政府は、劇場やコンサートホールに対してとりあえず約2100億円の援助を発表しましたよね。そこは日本と違うなぁと思いました」
ちなみに、日本では演劇に対して国からの援助は持続化給付金しか出ていないんですか?
「いったい誰の考え方なんだろうと思うんだけど、過去にさかのぼって補償は一切しないと言うんです。要するに、我々は2月~6月に中止になった公演に対して補償をしてもらいたいと思っているけど、それは一切しない。その代わり、未来の興行に対しては経費約半分の補助金を出す、と。これは『Go To トラベル キャンペーン』と同じ発想です。観光業界を助けたいなら、今、苦労している観光業界に次の持続化給付金を出せばいいんじゃないの? と思うんだけど」
この後、公演が決まっていたものについては補償がつきそうなんですね。ただ、自粛期間中の公演に関しては、国は法的な強制力もないし、あくまで「自粛」だから補償しないという……。一方で、自粛期間中に何かしようとすると自粛警察のように、「世間」からの圧力がかかるという現実もあります。
「僕はコロナ禍で、日本的な世間というものが狂暴なかたちであぶり出されたと思っています。それがつまり〝同調圧力〟ですね。SNSなどによって世間が暴力的に現れてしまった。
1940年に日本は『七・七禁令』という省令を出しました。〝ぜいたく品は買ってはいけません〟というものですね。〝日本人ならぜいたくは出来ない筈だ!〟という標語もできました。それによって、ぜいたくをするヤツは日本人じゃない、という空気になりましたよね。当時はそれが実行されているか、隣組や国防婦人会がチェックしていました。戦後、そういう人間関係が緩んで、少し楽になったかと思ったら、隣組や国防婦人会と同じような役割を、ツイッターをはじめとするインターネットが担当してしまった。インターネット自体を否定する気持ちはもちろんないけれど、良い意味でも悪い意味でも、インターネットが縦横無尽に張り巡らされた時にコロナが来てしまったように思いますね」
なるほど。
「僕はずっと言っていることだけど、『ドライブスルー方式で、1日何万人単位でPCR検査をするべきだ』とツイートすると『医療崩壊を進めるのか』『偽陽性を知らないのか』というリプライがくるんです。だけど、データを集めない限り、作戦の立てようがないですから。データがないというのも、戦時中と似ている気がします。調べてみると、日本軍はミッドウェー海戦以降負け続けて、正確なデータを取らなくなったんですよ。隠しているんじゃない。取れなくなったという理由もあるけど、取らなくなったんです。
有名な『台湾沖航空戦』の話があるでしょう。1944年に海軍が台湾沖でアメリカ軍を迎撃して『敵空母11隻を撃沈、空母8隻を撃破』と発表され、戦果をあげたと大騒ぎしました。その海軍の発表を知った陸軍は、フィリピン防衛作戦を変更して、アメリカ軍を迎撃しようとした。ですが、実際には空母は1隻も沈められなくて、日本の惨敗だったんですよ。海軍はそれに気づいたけれど、面子があるから訂正しない。陸軍は空母が沈められていると思っているから、フィリピンに兵隊を送り込みました。すると、壊滅したはずのアメリカ軍の空母から飛行機がバンバン飛んできて、返り討ちにあってしまったっていう話なんですね。今のコロナにおいても、日本には正確なデータがないじゃないですか」
可視化するのが怖いんですかね(苦笑)。
「日本人は不利な状況になると、現実に向き合う強さがないんじゃないかな。何なんだろうね、このメンタリティは(苦笑)」
※『虚構の劇団』……株式会社サードステージが運営、鴻上尚史が主宰する劇団。オーディションで選ばれた20代の若手7名が所属している。2020年5~6月の公演『日本人のへそ』をもって活動休止を発表していたが、中止となった。
自粛期間中に実感した「芸能の力」
緊急事態宣言時は、鴻上さんはどういうふうに過ごしていたんですか?
「芝居が中止になったから、どうやってこの精神性を維持しようかと思ってね。自粛期間中は、昼間は公園で本を読んで、夜に溜まっていた原稿を書いていました。何かを吸収したり、クリエイティブなことをしないとやっていけないという思いがあったけれど、それだけでは自分を支えきれなかった。そういう意味では『愛の不時着』が僕を支えてくれましたね(笑)。結局、芸術って〝お前はそれでいいのか〟と問い詰めるもので、芸能は〝あなたはそれでいいんですよ〟と肯定してくれるものだと思うんです。平穏な時代においては芸術の問いを受け入れて切磋琢磨できるけど、今のこの状況下で言われても、なかなか難しいですよね。もちろん優れた作品は芸能と芸術、両方の要素を持っているけれど、無条件に自分を肯定してくれる芸能の力を、この自粛の間に強く感じましたね」
演劇界ではZOOMを使った配信の演劇なども新しく出てきていますが、劇場で演劇ができないということは、どうしても手足をもがれた感じもあると思うんです。
「僕は演出家であり作家なので、まだ逃げ道があったという部分があります。これまで、こんなに作家だけをしていた時期はほとんどなかったんですよ。それを体験して、やっぱり自分は演出家として、稽古場でいろんな人たちとキャッチボールをしたり、自分の思い込みを訂正してもらったりするから、バランスが取れていたんだなと思いました。
だから、演出家だけをしていた人が心配ですね。演出家こそ、本当に手足をもがれてしまった人たちです。彼らがZOOMで演劇をやるのも、僕なんかみたいに作家の逃げ道がある人とは必死さが違うだろうと思うんですよ。僕はZOOMでやることを否定しないし、演劇のひとつの可能性だと思っていますが、やっぱりみんな原則で言えば演劇は劇場で、同一空間で体験するものだと思っているはずです。ただ、そんなことばかり言っていてもしょうがないですから。僕も配信のリーディングに参加しましたが、そうやってできることをやりながら生き延びようとしているんだと思います。だから、劇場での演劇に向けてのステップというか、〝みんな、演劇を忘れないでね〟って伝えたいということなんですよね。今はまだ演劇は死んでいませんが、もう一度、緊急事態宣言が出たら終わりますよ」
自粛期間中、演劇界から「補償を」という声が上がった時、大きなバッシングもありましたよね。
「このコロナ禍で、演劇がみなさんにとって遠いものだったということがわかりました。僕らが上げた『自粛要請には休業補償を』という声に対してここまでバッシングが起きたということは、演劇が身近になっていなかったということです。それは、演劇人みんなが突きつけられたし、反省もしています。だから、これから先、演劇がもっとちゃんと身近なものになっていってもらわないといけない思いますね」
自分を取り巻くカラクリを知る
このコロナ禍で印象的だった景色やニュース、忘れられない出来事などがあれば教えてください。
「後からコロナを振り返った時、僕は自分のSNS炎上とともに思い出すと思いますね。『自粛要請には休業補償を』というツイートに対して、『普段偉そうに言っていても結局金か』とか『お前は乞食か』とか『好きなことやってるんだから、倒産しても当たり前だろう』というリプライがたくさんきました。なかでも、『好きなことやってるヤツが文句言うな』っていうのが一番こたえました。それに対する原稿を『SPA!』で書いたら、それも炎上してね。それに対してはちょっと心が折れたし、回復まで時間がかかりましたけど。だけど、それだけみんな追い込まれてるのかなって」
確かに、それだけ追い込まれているし、ストレスが溜まっていたんだとは思います。「俺が我慢しているからお前も我慢しろ」っていうような感じでしたよね。
「それって、僕は子どもの頃から『迷惑をかけない人になれ』って言われ続けていることも大きいと思うんですよ。これは呪いの言葉だと思う。本当は、犯罪をしない人になってほしいと言わなきゃいけないんだけど、日本は欧米の諸国と比べると、もともと犯罪が少ないですよね。日本人はそれほど法律を守っているわけです。法律を守るのは当たり前なので、『迷惑をかけない人になれ』と言う。この呪いの言葉をかけられ続けると、他人の迷惑に対してすごく敏感になるんですよね。だから、迷惑をかけない人になれっていう言い方の危険性をみんなが知ることで、ずいぶんこの国は変わるような気がしますね」
コロナに感染した人が謝る、というのもそうですよね。
「みんな建前としては『謝る必要ないんじゃないの?』って言いたいんだけど、いつの間にか感染した人が責められるという空気が強くなってしまう。青森県の警官が風俗でコロナに感染したという報道が7月にありましたが、検査に行けと言われてもその警官が緊急搬送されるまで行かなかったのも、『風俗でコロナをうつされたなんて知られたら、人生終わる』っていう恐怖があったからでしょう」
国によるとは思いますが、海外ではどういう反応なんですかね?
「欧米は基本的に、なっちゃったものはしょうがないという感じですよね。アメリカの有名なニュースキャスターは感染した時に自宅から番組に出ていましたけど、謝罪は基本的になかったですね。
海外は、日本のような〝世間〟はなくて、あくまで〝社会〟なんですね。世間は、学校や会社、地域や近隣の知り合いなどの顔を見知っている人たちで成り立っている世界。社会は、知らない人たちがいる世界です。その社会を縛っているのは法律のルールだから、明確なんですよ。世間のルールというのは思いやりとか絆とかのポジティブな面もあるけれど、裏を返せば自粛警察になる。〝私はあなたを見てますよ〟っていうものですから。法律のルールと違って世間のルールは明文化されていないから、余計に残酷さが際立つんですね。
海外ではロックダウンで外出禁止になった時、基本的には散歩も禁止、ただしペットの散歩はいいですよ、っていう法律が出されたところがあります。そうしたら、犬の着ぐるみで外出する人がでてきて、警察に罰金を支払ったっていうことがありました(笑)。もし日本でそんなことやったら、おそらくネットで名前も住所も実家もさらされちゃうんじゃないかなと思ったんです。通常時に、お互い気遣って『絆だねぇ』とか言っているのは平和でいいんだけど、こういう状況になると、どれほどマイナスになるかっていうことを日本人は知っておいた方がいいような気がしますね。日本は法律のルールよりもはるかに世間のルールが厳しくなることが多いけど、その厳しさには何の根拠もないんですから」
ある意味「世間」との戦いって、目に見えない敵との戦いですよね。見える敵であれば、体を鍛えて、武器を増やせばいいけど、見えない敵と戦う時はどうしたらいいのか? 以前、取材の時に鴻上さんが「個として強くなる」と言っていましたが。
「強くなるというよりも、〝個として賢くなる〟しかないと思いますね。だから、少しだけ、自分を取り巻くカラクリみたいなものを知っていくしかないってことかなって」
そのカラクリというのは、鴻上さんがずっと言ってきた「世間」のことですよね。ただ、これだけ情報が溢れている状況で、賢くなるのは難しいと思うんです。
「本当に難しい。検察庁法改正案の時に、芸能人が発言したことに対して、勉強してないヤツは言うなというような声が上がったけれど、そもそも完璧に勉強しきれるはずがないんですよね。このコロナ禍の補償に関しても、例えば〝MMTの考え方では、政府は自国通貨での借金をいくら増やしてもOK〟という理論なんだけど、それに対する経済学的な反論はいくらでもあるわけです。それを勉強してから言うとなると、〝MMTの長所と短所を研究して50年かかりました〟ってなっちゃうよね(苦笑)。だから、それぞれが信頼できる人を見つけて、その人が反対してることは『ちょっと反対したほうがいいんじゃないかな?』っていう考え方もあっていいと僕は思っています。全方位に賢いなんて無理なんですから。分担して考えよう、でもいいんじゃないのかな」
コロナ禍を通して、鴻上さんが読者に問いを立てるとしたらどんなことですか?
「この間、ブレイディみかこさんと対談をした時に聞いたんですが、彼女の中学生の息子さんが『日本は社会に対する信頼がない』って言っていたそうなんですね。たぶん、僕の残りの人生はこれがテーマになると思いました。中坊からもらったテーマなんだけどね(笑)。だから、〝社会に対する信頼を作るためにはどうしたらいいと思う?〟というのが僕の問いですね」
最後に、作家・鴻上尚史にとってコロナは作品のテーマになりえますか?
「共同体がこんなに牙をむくことがあるんだっていうのは、テーマになると思います。ただ、僕はやっぱり作品の中で、ハードな状況もどこか笑い飛ばしていきたいんですよ。このコロナの状況をどういうスタンスなら笑い飛ばせるかっていうのは、今、日々考えあぐねているところです。
僕が『愛の不時着』にハマったのは、コメディ仕立てにしているところが大きいんです。単なる国境を越えた愛の話だったらハマらなかったと思う。韓国と北朝鮮の問題をコメディにした、その精神の強靭さに僕は心を打たれたんですね。だから、コロナ禍を作品にする時には、このあたふたした僕たちを笑い飛ばす、悲劇だけど同時に喜劇の側面もあるんだっていうスタンスを見つけられないと作品にはできないだろうなと思っています」
鴻上尚史
1958年、愛媛県生まれ。81年に劇団「第三舞台」を結成。以降、作・演出を手掛ける。「朝日のような夕日をつれて」(87年)で紀伊國屋演劇賞、「スナフキンの手紙」(94年)で岸田國士戯曲賞、「グローブ・ジャングル」(09年)で読売文学賞シナリオ賞を受賞する。01年に劇団「第三舞台」は10年間活動を封印後、11年「深呼吸する惑星」で解散。現在は「KOKAMI@network」と「虚構の劇団」での作・演出を中心としている。
http://www.thirdstage.com/
https://www.twitter.com/KOKAMIShoji
インタビュー:ジョー横溝
2020年7月21日東京にて