マヒトゥ・ザ・ピーポー(GEZAN)が語る生と死の実感「自分を生かしてくれてるものは何なのか」
特集「コロナ禍と表現者たち」11
GEZANのボーカリストであり、2019年には小説『銀河で一番静かな革命』を出版、コロナ禍で制作・公開された豊田利晃監督最新作『破壊の日』の映画出演など、多彩な活動を続けるマヒトゥ・ザ・ピーポー。
自主レーベル「十三月」主催で14年から行っている音楽フェス『全感覚祭』は、入場料は投げ銭制、フードフリーという前代未聞の試みとして以前から注目を浴びていた。自粛期間中、同フェスは『全感覚菜』へとかたちを変え、ライブハウスの屋上に農園を作り、投げ銭で野菜や花の種と苗を販売。さらに農園スタートを記念して、GEZANドラマーによる30時間ドラムマラソンの配信を行うなど、人々の価値観を覆すようなさまざまな挑戦を続けている。
その行動/活動のひとつひとつは、彼の世の中に対する「抗い」であり「革命」でもある。
彼は何に抗い、何を変革しようとしているのか――。
- Posted on
- 14 Oct 2020
東京という都市の限界と無力感
自粛期間中は、どのように過ごしていましたか?
「ライブがまったくできなかったから小説を書いていました。ずっと家にいるのもきつかったので、家の近くにある、人が来ない廃墟の団地へ行って、ぼーっと飛行機を眺めたりしながら」
その時、どんなことを思っていたんですか?
「都市の限界というか……東京のいいところって、街自体の魅力というより、人だと思っていて。自分は自由な考え方が許されないような田舎の空気の中で育ったので、いろんなレイヤーで生きている人がいて、そういう人と会って話すことができるこの速度も含めて、東京の魅力だと思っていたんです。それが奪われた時に何も残らない、何も機能しないということが今回のことでわかってしまったというか。そもそもこの街の面積に対して人が集まりすぎているという、過密の限界みたいなものが露呈した気もしています。震災の後、自分の暮らしを見つめ直して違う場所に移動した人がいたと思うんですけど、今もまたそういう流れがありますよね。東京だけの話じゃないけど、多くの人が街との付き合い方を改めて考えているんじゃないですかね」
確かに。特に東京でいえば、これまで人と人が触れ合うことで生まれていたエネルギーが閉ざされてしまった。そこに対しての不安感はあるかもしれない。
「例えば、自分が7年くらいやっている『全感覚祭』というお祭りも、人が集まることで発生するエネルギーを媒介にして、何か新しい風を探すようなことをやっていたので。それ自体が奪われる、と言ってしまえば武器がないというか。人と触れ合うことで生まれていたエネルギーを奪われたことで、自分には何ができるだろうっていう無力感にぶつかった人は多いと思いますね。自分も例外じゃないです」
改めて『全感覚祭』について伺わせてください。事前の募金とクラウドファンディングで資金を集め、入場料は投げ銭制、フードフリーというこのフェスが生まれたきっかけは?
「単純に小さい頃、お金がなくて行きたかったライブに行けなくて。でも、そもそも『the kids are alright』という言葉があるように、本当は若い時こそ見るべきだし、ロックってそういうことだと思うんです。10代の2000~3000円と30代、40代の2000~3000円はぜんぜん価値が違いますよね。その時その時の環境で、お金の価値や物の価値は変わるよなってことが根本にはあって。今は社会の仕組みがある程度の金額設定をしているけど、その体験の価値をそれぞれの人が考えるように変わっていくと思ったんです。投げ銭はそういう社会になった時の準備にもなるし、そういうかたちで経済や社会と関わっていくことは必要だと思っていたから。
7年前に始めた頃は、投げ銭って古い言葉のように思われていたけど、今はフランクに使われるようになりましたよね。ライブハウスやクラブが閉まってしまうかもしれないこの状況で、自分にとって大切なその場所の値段をそれぞれが考えることが普通になってきていますけど。そういうことをやっていた感じですね」
「それぞれが価値を考えるようになる」という背景には、いわゆる資本主義みたいなものが崩れていくみたいな感覚があったんですか?
「崩れていくというより、加速しているなって感覚です。生産性のあるもの、役に立つものに価値があるとされて、役に立たないものはどんどん切り捨てられてきている。アンダーグラウンドと言われる音楽も、自分が音楽を始めた時に比べてきつくなっていると思うし、メジャーレーベルも昔はもう少し挑戦的にリリースができていたのが、今は本当に売れるものしか出せない。その結果、言っちゃ悪いけど、つまらないものしか出せない、フックアップができなくなってきているなって。だから俺たちは『十三月』という自分たちのレーベルから出しているんですけど」
『全感覚祭』は、そこに対するアンチテーゼというか、自分たちで正しく評価をしようっていう思いで?
「そうですね。だから、何も感じなければ、何も感じない金額を入れればいい。その時の経済状況とかコンディションとか、いろいろなものに左右されるけど、その価値は一人一人に委ねられているので。自分で言えば、人生が変わるような衝撃を受けた音楽の現場があったから。同じ入場料2500円でもその価値はまったく違う。それが個人に返ってくる社会のほうが健全だなってずっと思っていて。そういうイメージが『全感覚祭』なり、GEZANなりの活動にはずっとある気がしますね」
食べ物まで無料にするというのはずいぶん思い切ったというか。
「大変でしたね(笑)」
ある意味そこでリカバーしようとするのが、これまでの一般的な音楽ビジネスのやり方だったわけですよね。
「飲みの席での冗談で、フェスをやっている人から『俺たちのやりかたが古くなるからやめてくれ』って言われたこともありますけど(苦笑)。それで成立したことが、その時代のひとつの評価だと思うので、自分たちは前に進めるなと思ったし。成立できなければ、その評価を受け入れて修正するしかないですから」
金銭的にそれが成り立ったということは、みんなが望んでいたということですもんね。
「だから、そこに対して変な嘘のつき方をして自分の利益にしようとすると、一瞬で崩れ去るだろうなとは思っていますね。まぁ給料が出ているわけでもないことを、ものすごく労力かけてやっているから、いつ体力が切れるかわからないですけど。まだやれるかな」
どれくらいの規模まで広げたい、というのは考えているんですか?
「正直わからないですね。コロナがあって、あの祭のやり方もいろんな意味で考えないといけないし。良くも悪くも、コロナでこれまでいろんな人がやってきた流れに対して区切りの線がつけられた気がしますよね。これからそれを踏まえてどうふるまっていくのか、それぞれが試されていく感じはします」
当たり前に慣れきっていたものに価値がある
その『全感覚祭』が、今年は一文字を変えて『全感覚“菜”』として、野菜や花の栽培種セットを投げ銭で販売するというかたちになりましたが、これはどういった意図で?
「コロナでみんなSNSを神様みたいにそればかり見て、ネットに上がるその日の感染者数にその日1日の気持ちだったり、そこから先の1週間、1カ月、1年の予定が狂わされたり……影響を受けるっていう意味ではiPhoneの画面を教会みたいに、祈りのような気持ちで見ている。とにかく情報の速度が速くて、その速度に抗うこともできない、目を離すこともできない人が、自分を含めてたくさんいたと思うんです。そこに対して、もっと流れの遅い、大切な時間の流れが自分にとって必要だったんです。種を植えて芽が出て成長していくのって、本当にちょっとした変化だけど、昨日と今日は違うし、明日になれば前に進む。そういう生きた存在を近くに置くことが必要だなっていう直感でした。
この時間を意地でも良いものに変えたいという気持ちもありましたね。ただ何かを我慢させられている時間ではあるけれど、そこで見つけた手触りとか久しぶりに人に会った時の楽しい気持ちとかを残しておきたくて。ライブも含めて、一度止まったものがこれから動き出していく中で、これまで当たり前だと思って慣れきっていたものにすごく価値があるということを、いろんなかたちで再確認すると思うんです。その手触りを何らかのかたちで残していくひとつが、あの時期に種を植えたということだったりもするし。このメディアもひとつのかたちですよね」
そのつもりはあります。
「震災の時、社会に対しての違和感や危機感を強く思ったはずなのに、どうしても生活に侵食されて、忘れていってしまう。2021年で10年が経ちますが、そこからまた始まる次の10年はより強く意識しないといけないと思うんです。じゃないと、自分たちが忘れて曖昧にしている間に、権力を持っている人たちがいろんな仕組みを勝手に書き換えて、よりその人たちに利益が下りてくるシステムを作っていってしまう。いろんなかたちがあっていいと思うんですけど、そこに対するそれぞれの抗いが必要な気がしますね」
そうですよね。ちなみに、「全感覚菜」の農園スタートを記念して、5月30日にはGEZANドラムの石原ロスカルさんの30時間ドラム配信もやられましたよね。これは誰が言い出したんですか?
「言い出したのは俺だけど、30時間とは言ってないです。ロスカルが30時間って言い出して。あんまり長くするのもどうかとは思ったんですけど、ヤツは『俺はインナーマッスルを鍛えているから大丈夫』って謎のことを言ってました(笑)」
ドラムを叩きながら移動するから、見るたびに場所が変わっているし、時間帯によって景色も変わっていくっていう。
「日が落ちたら暗くなるし、朝になったら朝焼けが出て、雨が降ったら濡れて寒いから避難しなきゃいけない。すごく当たり前のことを体験しましたね。あの時期ちょうど家にいなきゃいけなかったから、いろんな実感が薄れかけていた中での新鮮さもあった気がします。でも、農園とはまったく関係なかったですね。正直、こじつけでしかないですよね(笑)」
人間を生き物として尊重できる環境をどう作るか
先ほど、区切りの線を引かれて、ここからどうするかが試されているとおっしゃっていましたが、マヒトさんはこれから先、表現者としてどんなことをしようとしているんですか?
「表現者としてというより、もっと根本的な話になりますけど、さっき話したような生産性を優先する合理主義的な流れは、今後もっと加速していくと思うんです。いろんな企業やお店、個人がコロナで受けた経済的な損失を取り返そうとして、より過剰に生産性を求めて、今まであった余白を削ってお金を生みだすものだけを推し進めていくようになっていく。
コロナで人と会えない中で、オンラインでのインタビューを俺も受けたし、そういうふうにテクノロジーが進むことで前に進んでいく部分もあるけど、その一方で、人と会った時の感触や、生き物としての呼吸や皮膚感覚が自分にとってすごく大切だったんです。だから、それを軸に未来を作っていかないといけないっていう気持ちが強くなりました。ネット上にフェス会場を作ってアバターで音楽を聴く方法を考えている人もいるし、実際にやっている人もいるけど、はっきり言って俺は興味がないですね。人間を、動物として、生き物として尊重する人と、そこに価値を見いだせる環境を自分がどう作るかっていうことに興味があります。具体的なことはまだはっきりと言えないけど、何を始めるにしても自分が大切にしたいものはそこにあるんだなってことがわかりました。それが、このコロナの時代から受け取った贈り物ですね。それぞれの人が、この時期に思った〝自分は一番何を欲しがっていたのか〟っていう実感を自覚して、そのふわついた感覚に輪郭を与えるようなことができたら、この時間はすごく意味があったことになると思うんです」
ただ、経済のことで言えば、原発事故の時は、放射能汚染の危険がある原発をやめるのか、それとも電気をとるのか、要するに人間の命と経済のどちらを優先させるかっていう問いがありましたよね。コロナ禍では、貧困など経済の問題がそのまま命の問題に直結するところがある。そこが難しいのかなとは思いました。
「難しいですよね。音楽も映画も、不要不急でも何でもないので。自分たちは作ることやライブをすることが仕事ですけど、世の中には理解されにくいし。最初の頃は、ライブハウスへの立ち入りを控えてと言われて、その後は夜の街が感染源だってさかんに言われましたよね。だから、もうひとつコロナの時期にわかったのは、社会や政府にとってみればここは最初に切り捨ててもいい場所なんだなっていうことです。切り捨てるとなると最初に差し出されるところに自分たちはいるんだって知りましたよね」
それについてはどう思いましたか?
「期待したこともなかったけど、やっぱりそうなんだって思いましたね。でも、今回のことでそれがはっきりとわかったので、それはそれで期待しなければいいだけですし。〝自治〟という言葉が近いと思うんですけど、自分たちの気の合う仲間や話が通じる人たちと繋がって社会を作ればいいっていう、それだけの話かなとは思っています。自分を生かしてくれているのは、友達や気にかけてくれる仲間、愛情をくれる人たちで、それが自分にとっての社会なので。そこで枠組みをする必要もないんですけどね。ただ、〝自分を生かしてくれてるものが何なのか〟って意識したことも、コロナが教えてくれたことのひとつだと思います」
冬になるとさらに感染者が増えるという予想もありますが、そうなるとさらに人との接触が難しくなります。それに対する恐怖心はあったりします?
「長期戦で付き合っていくことになるとは思うから、ライブも今年1年はなかなか難しいだろうし、来年以降のこともわからない。だから、恐怖という意味ではめちゃめちゃありますね。ただ、さっき言ったように、手触りだけでもはっきりと持っておけばブレないと思うので。……まぁ大丈夫ですけどね。みんな大丈夫だと思う。うまく言えないけど」
マヒトさんの初小説『銀河で一番静かな革命』には世界の終わりが描かれていますが、こういうパンデミック的なことが来るかもしれないと考えたこともあったんですか?
「小さい頃から死に取りつかれているところがあったので、終末や人の生死は普遍的なテーマなんです。『銀河で一番静かな革命』は『今の小説じゃん』ってよく言われますけど、内容的にもフィットしていますよね」
死に取りつかれているというと?
「言い方を変えると、生きるってことに取りつかれているとも言えるんですけど。存在するっていうことがどういうことなのかを、ずっと考えています。心臓さえ動いていれば生きていると言う人もいるだろうし、実際そういう面もあると思うんです。でも、自分にとっては〝自分がちゃんと存在してるな〟っていう実感がある時間だけが生きているということなので。心臓が動いていても何も感じてない時間はあるし。どうすれば自分を生かせるのかを常に試し続けているところがあって」
それは子どもの頃から?
「小さい頃から、傷ついて怪我をしても、生きてる実感があるほうがいいと思っていたので、めちゃめちゃ喧嘩もしましたし。虫が死ぬのを見て〝あぁ、死ぬんだな〟みたいな、死への乾いた実感みたいなものは身近にはずっとあった気がします。死は、ずっと近くにあるかな」
では最後に、読者の方に問いたいことがあれば教えてください。
「同じ話になっちゃいますが、〝生きているとは何か〟って聞きたいですね。社会に用意された言葉じゃなくて、自分にとって〝生きている〟とはどういうことなのか。小さな手触りや、個人的な体験によって生かされていることがたくさんあると思う。それがライブの人もいれば、映画の人もいるし、植物の人もいる。そこに何か答えがある気がします」
マヒトゥ・ザ・ピーポー
2009年、 バンド「GEZAN」を大阪にて結成。作詞作曲を行い、ボーカルとして音楽活動開始。11年、ソロアルバム『沈黙の次に美しい日々』をリリース。野外フェス「全感覚祭」やZINE展を主催する。19年に初の小説作品『銀河で一番静かな革命』(幻冬舎)を発表する。
http://gezan.net/
http://mahitothepeople.com/
https://twitter.com/1__gezan__3
https://www.instagram.com/mahitothepeople_gezan/
インタビュー : ジョー横溝
2020年7月16日東京にて