コロナ以後、志磨遼平(ドレスコーズ)に起きた変化「常識や価値観が覆されることはアートの本懐」
特集「コロナ禍と表現者たち」07
自身の楽曲の作詞作曲はもちろん、文筆活動などの幅広い活動でマルチな才能を見せている志磨遼平(ドレスコーズ)。2020年にメジャーデビュー10周年を迎えた彼は、コロナ禍で自粛要請期間中の4月に10周年記念ベスト盤『ID10+』をリリースしたものの、同時期に組まれていた記念ツアーは延期を余儀なくされた。深いテーマ性と繊細な表現に定評のある志磨は、このたびコロナによって世界中に起きた天変地異をどう捉えているのか。自粛生活で得た個人的な気づきをはじめ、社会における大きな変化についても独自の観点から語ってくれた。
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- 10 Sep 2020
自粛時に感じた妙な穏やかさと安心感
コロナの影響で10周年のツアーも延期になってしまったそうですが、活動が立ち行かなくなった今の状況をどう感じていますか?
「最初はわりと悲観的に捉えていたところがあったんですよ。未知のウイルスに感染するかもしれない恐怖とか、今まで経験したことのない世界規模のパンデミックを目の当たりにして、国内でも〝緊急事態宣言〟という生きているうちに聞くとは思っていなかった言葉まで耳にするようになって。それが、久しぶりの友人とメールやLINEで連絡を取り合ったりしているうちに、だんだん〝ネガティブなことだけではないのかもしれない〟と思うようになってきたんですよね。それは自分たちが感染したり失業したりしていないから言えることなんでしょうけど」
「ネガティブなことだけではないのかもしれない」というと?
「言葉にするとちょっと難しいけど、世界規模でいろんな経済活動を停止するしかない状況になったことで、競争も生まれなくなってるんですよね。企業にしても僕らのようなアーティストにしても競争相手がいるのが当たり前の世の中だけど、同業者がみんなで一斉に休むと、その競争も一時休戦になる。妙な穏やかさというか休息感があって、今すごく精神状態がいいです(笑)」
確かに、何かに急かされてものづくりをするような環境ではなくなりますよね。
「誰かが出した曲が売れているとか、あの曲にはタイアップが付いているとか、何万回再生されているとか、何万人動員したとか……。そういうマーケットとしての価値が音楽から失われて、〝善意〟とか〝好意〟だけが残ったような感覚っていうのかなぁ」
音楽業界の格差がなくなったと?
「一時的に、ではありますが。今までのシステムが途端に役に立たなくなるというのは、不謹慎かもしれないけど、ちょっとワクワクするものがありました。また競争が始まるのがもったいないな、とすら思うくらい。これを機に、今までの価値観が一度なきものになるんじゃないかという期待があったんですよね。例えば仕事や学校のような、無条件で〝休んではいけない〟とされていたものも、〝不要不急であれば行かなくてよし〟とされて。じゃあ、〝必要火急〟なもの、自分が仕事より大事なものっていったい何だろう? と考えざるをえなくなる。世界中でそういう価値観の転換が起きている気がします」
そう考えると、この変化は悪いことだけではなかった?
「まさか、競争社会から大手を振ってドロップアウトできるとは思わなかったですからね。僕らもミュージシャンとはいえ社会のサイクルに則ってやっていたわけで、今年は去年よりいいものを作るべきだ、売上を伸ばすべきだ、集客を増やすべきだという考えを、疑いもしなかった。それが覆るチャンスかもしれない。
もちろんウイルスの感染拡大は恐ろしいものですが、ただ被害だけを数えて落ち込むのではなく、ここに何かしらのヒントを見つけて、いろんなシステムをバージョンアップさせるいいきっかけにするべきなんじゃないかなと思います」
これは志磨さんだけではなく他のアーティストの人たちにも言えることですが、こういう状況でも右往左往せずに起こったことをそのまま受け入れられるのはさすがだな、と。
「格好よく言うと、常識とか価値観が覆されることはアートの本懐なので、アーティストの得意分野なんですよ。こんな状況を待っていた。僕たちはずっとパニックでいたいんです、本当は。ずっと同じ環境で満足する、安定してしまうことこそを恐れているので、不安定な状況に新たな発見を探すことが得意なんです。よくバンドが危機的状況の時にいい曲ができたりするのも、そういうことですよね。あとはやっぱり、音楽や映画や文学などのすごい作品との出会いは小さな天変地異みたいなものなので、日常的にそういった体験を多く積んでいる、慣れているというのもあるかもしれないです」
何もなくなったところから新しいものを作り出す
コロナ禍で社会的な価値観が変化したわけですが、表現者・志磨遼平としてはどんな変化がありましたか?
「ここ最近、自分にとって音楽っていったい何のためにあるんだろう、ということを自然と考えるようになりました。無観客とか生配信ライブとか、今できることを粛々とやっていこうという流れが音楽業界に生まれてるじゃないですか。その中で、なんとなく今までのルーティンとして作曲をしたり、ライブを再開したりする前に、果たして音楽とは何のためにあって、何のために生まれるのかを考えていて」
システムからエスケープした今、音楽をやる意味は何かということに改めて向き合っている?
「うん、これはある種のリセットですね」
リセットして考えた結果、志磨さんにとって音楽とは?
「いろんなアーティストのコロナ禍での立ち居振る舞いを見るともなく目にしていて、例えば3月~4月頃、SNSで『歌つなぎ』というのがありましたけど、それに対し自分は直感というか反射的に〝あ、いいな、僕もやろう〟とは思わなかったんですね。〝はやくライブがしたい〟とも思わないんですよ。〝なぜやりたいと思わないんだろう?〟と考えた結果、自分は音楽を誰かに向けることをモチベーションとしていないんだな、ということに気づいたんです。
僕にとって音楽は、誰かと繋がるためのツールではなくて、すごくパーソナルなものなんだな、と。自分の内面に深く潜っていって、底に沈んでいるものを収集してくる感覚というか……うまく言えないんですけど、考えること、書くこと、それを演奏して歌うことを通して自分というものを認識するっていうのかな。それを発表することによって社会と自分を対比したり、客観視したりするんですよ」
哲学書を読む感覚に近いのかもしれないですね。自分と社会との接点や、どう感じているかを認識するような。
「そうですね。そのための個人的な作業のようなものなんだと思います」
今、我々はコロナ後の新しい世界・社会について考えていかないといけない段階にあると思うんです。〝新しい生活様式〟や〝New Normal〟という言葉はあるものの、具体的なヒントは何もないまま生きていかなければならない。そういった時にこそ、0から1を生み出すことができるアーティストの本能や発想がヒントになると思うのですが、志磨さんはこの先の新しい世界・社会をどう生きていくべきだと考えていますか?
「ここ最近、アーティストである自分とは別に、生活者としての自分をはっきり認識するようになったんですよ。それまではアーティストとしての自分をいかに磨いて高めていくかばかりを考えていて、生活のことなんてどうでもいいと思っているところがあったんですけど、年齢なのか、こういう状況のせいなのか、今は生活者としての自分の考えや憤りも当然のようにあるんです。
で、質問に対する答えですが、社会の中の一生活者としては、今、日本人は自分の意見を主張する練習をしている最中なんだと思います。例えば、会社を休むにしても、雨が降ろうが槍が降ろうが出社しろという精神論でこれまでやってきた国ですから、〝出社しないで家にいたいです〟なんて許されないムードがあったわけじゃないですか。〝大変なのはみんな同じでお前だけじゃない〟と言われておしまいだった。でも、そんなムードもこの数ヶ月でずいぶん変わったように感じます。自分の健康的、文化的生活を守るための主張はタブーなんかではない。〝これだけの補償を望みます〟とか、〝この政策に反対します〟とか、僕も含めて多くの日本人が苦手だった〝個人の主張〟をやってみよう、徐々に慣れていこう、という空気を感じます。
もう一方の、アーティストとしての考えというか直感では、焼け野原からの復興のようなイメージがあります。と言っても、震災や戦災とは違って、コロナがもたらしたのは目に見えない破壊じゃないですか。人と会って会話をすることすら今は困難で、当たり前にあった習慣や常識が突然崩れてしまって、それを乗り越えるために、僕らは新しい常識やスタンダードみたいなものを学ばないといけない。
今は戦後の青空教室のような、何もない焼け野原で机だけ並べている状態だと思うんです。去年まで使っていた教科書の内容はほとんど黒ベタで塗られて使えなくなって、子どもたちに何を教えればいいのか考えているところ」
戦後で言うと、それまでに信じていたものが黒塗りになってしまった。じゃあこの国の中心にあるものって何なんだろう?っていうことですよね。今、そういったことをみんなで考えないと共通認識がなくなってきている気がして 。
「そうそう。いろんなことが双極化というか、二分化されて対立している状況がここ数年続いているのも、共通認識がなくなってきているのが原因だと思います。そういうことに対してみんなで悩みながら答えを導き出すタイミングが来ているのではないかと。そう思うと、決してデメリットだけではないという気がしています」
「欲しがりません、勝つまでは」を何十年やるのか
志磨さんがコロナ禍で見た景色の中で、何が一番記憶に残っていますか?
「他の国が次々とロックダウンを始めた頃のニュースの緊迫感は恐ろしかったですね。イギリスの首相の感染とか、志村けんさんの訃報とかが続いて、まるで現実感がなくて。
近所の公園はお仕事が休みになった人たちがのんびり散歩したりお弁当を食べたりしていて、自分もリハーサルの予定が全部なくなって、突然別の人生が訪れたような感覚でした。ちょうどその頃、自分のラジオ番組でジョニー・サンダースの『サッド・バケーション』を流したんですが、まさにそのタイトル通りの気分でした」
コロナによっていろんな問題もあぶり出されましたが、志磨さんが特に問題視していることは何でしょうか?
「世界的にいろいろな問題がありますけど、日本で言うと〝罰があたる〟という感覚かな。例えば、さっき言ったように〝休みたい〟とか〝お金が欲しい〟とか、そういう主張を穢れた考えのように思ってしまう国民性があるじゃないですか。教育上の刷り込みのようなもので、〝お天道様が見てますよ〟というのに近い。だから日本人は〝仕事を自粛してください〟と言われれば〝はーい〟と素直に聞き分けよく受け入れて、〝補償がないので仕事を続けます〟なんて言おうものなら〝罰が当たるぞ〟と一斉に非難される。しかもそれがうまく作用して、本当に感染拡大を乗り越えつつあったというのも問題だと思うんですよね。震災の大変な時すらも〝絆〟で乗り越えたし、やっぱり今回も大丈夫だった、という成功体験が続いてしまうのは、ちょっとカルト的で恐ろしいですよね。美徳はなんの対策でもないので。〝欲しがりません、勝つまでは〟を何十年やるんだろう、と」
そういう成功体験が続いた結果、「みんなこうしているから、私たちもこうしましょう」という日本人特有の同調圧力がこの国の規範になってしまっている。
「その姿が美しいのだと言われるとわからなくもないんですが。これだけいろんな情報が入るようになれば、自分たちの国民性や状況を客観視することなんて、それこそバカでもできるわけで。その精神論が辿った先に昔の大きな過ちがあったんじゃないでしょうか、そこは改めてもいいんじゃないでしょうか、とは思いますね」
そういった中で、同調圧力ではなくみんなが繋がれるもの、それぞれが前に進むためのヒントを提供してくれるのが音楽やアートだと思うんです。
「今は世界同時多発的に、過去のさまざまなひずみから大きなエネルギーが生まれていて、アメリカや香港で起きている人権や民主主義の問題も世界中の人がSNSで共有したりしていますよね。そういった問題にヒントは与えられなくても、音楽やアートはそれを反映する鏡にはなりえるので、せめて曇らないように自分を磨くことはアーティストとしての責務じゃないかな、と思いますね」
志磨遼平
1982年、和歌山県出身。03年に毛皮のマリーズ結成し、10年にメジャーデビュー。翌年に日本武道館公演をもって解散。12年にドレスコーズを結成。14年にドレスコーズ結成時の4人体制での活動終了、レコーディングやライブのたびにメンバーを変えて活動している。
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インタビュー:ジョー横溝
2020年6月30日オンラインにて