「愛と音楽でこの世界が満ちてほしい」マリア・ゴロミドワ

photo by 関根渉

最初のトークゲストは写真家のマリア・ゴロミドアさんです。今日は小さなお子さんと一緒ですね。

「はい。息子のコウちゃんも一緒に来ています。まだ10カ月です」

マリアさんはロシア生まれですよね。

「はい。今日はロシア人の一人として来ています。もう日本に住んで18年。カメラマンをやっていますが、去年この子が生まれて今はママをやっています」

さっき会場入りしてきたJESSEが「Hey!マリア!」と声をかけてハグしていて、とてもいい光景だなと思いました。

「音楽関係のカメラマンなので、今日も友達のミュージシャンが何人かいます。コウちゃんもライブやフェスにちょこちょこ連れて行っています。小さなアシスタントです」

ロシアのウクライナへの侵攻が始まってから約1カ月が経とうとしています。今は本当に複雑な心境だと思います。さっき少しだけお話を伺ったら、ウクライナにもお友達がいるそうですね。

「親友がウクライナにいます。親戚もいるんですけど、その親戚とは今は繋がっていなくて。親友たちはみんな他の国に逃げています。ウクライナ人だけじゃなく、ロシア人の大好きな友達もです。日本で知り合ったウクライナ人のモデルの友達も、今ブカレスト、モルドヴィア(共和国)に家族全員で逃げているんですけど、お父さんがまだウクライナに残っていて、〝キエフに戻りたい〟と毎日言っているそうです。

ロシア人の私の友達はトルコに逃げているんですが、旦那さんとワンちゃんは年をとっていてどこにも行けないから、旦那さんとワンちゃんはウクライナでずっと逃げています。みんなこの1カ月、眠れないし、何もできない感じです。私も眠れないし、何もできないけれど、ウクライナ人の苦労に比べたら全然です。すごくコウちゃんに救われていますが、ウクライナにいる人たち、ウクライナから逃げた300万人以上の人たちを支えたいけれど何もできなくて、とても苦しい1カ月でした。

ウクライナ人の友達、ブカレストにいる友達は、いまに本当に愛を信じています。平和を信じています。今も私に厳しいことは一切言わないし、〝愛してる〟と言ってくれます。そういう気持ちが一番大事だと今は思っています」

ロシアにいるご家族や友人と連絡を取っていらっしゃると思うのですが、ロシアの生活の状況はどんな様子でしょうか?

「家族は郊外に住んでいるからなんとか大丈夫ですけど、それでももちろん心配ですし、インターネットがいつ繋がらなくなるかわからない。だから今回のこのイベントはすごく素敵だなと思っています。何かしてあげたいけど、してあげられない自分がいるので。コウちゃんも同感みたいです」

今回のイベントは、誰かを断罪するのではなく、実際に困っている人たちをシンプルに助けたいという思いで開催しているイベントなのですが、マリアさんはロシア人ということで何かつらいことを言われたりとかはありましたか?

「私は全くないです。逆に〝マリアとの友情は変わらないよ〟というメッセージがたくさん来ています。〝わかっていますよ。国と個人は違うよ〟って。

ロシアにいる勇気のある私の友達は戦っているんです。反戦デモに出たり、他の人たちの子供の面倒を見たり……。それによって、自分の命をリスクにさらされている人たちもいますし、何もかもを失ってしまったロシア人もいます。もちろんウクライナ人は大変だと思います。でも、ウクライナに住んでいるロシア人も戦争に参加させられてしまっている。ウクライナ人がロシア人に怒っているのは当然だと思うんですけど、そういうふうなウクライナに住んでいる一般のロシア人も、国籍関係なく苦労している人たちを助けたいですね。

ロシア人にもいろんな人がいます。悪い人もいますが、今のロシアの動きを応援している人たちも、怯(おび)えてそうなっている人が多いと思うし、騙(だま)されてそうなっている人も多いんじゃないかと思うんです。それも、そのうちきっと変わる気がします。ロシアが経済的にもどんどん悪化して、たぶんいろいろわかってしまう人たちがこれから増えるんじゃないかと思います」

ウクライナの人がすごく大変な状況にあるのは言わずもがなですが、忘れてしまいがちなのは、ロシアの人も経済制裁が効いてきて生活が困窮してきたり、西側のお店や企業が撤退することによって仕事を失ったりする人も出てきているわけですよね?

「そうですね。海外にも行けないし、逃げられない。私はママに日本に来てほしいと思っているんですけど、おばあちゃんの面倒を見ているからどこにも行けない。仮に別の場所へ行こうと思っても、飛行機が飛んでいないから簡単には行けないだろうし。それに、職を失ったり、すべての貯金を失ってしまったり、子どもを失ってしまった人もたくさんいます。今、若い男の子たちが(戦地に)行かされているので、いろんな面で、いろんなレベルで影響があります」

戦争が起きると、常に市民が、特に弱者が犠牲になってしまう。

「そうですね。たぶん多くのロシア人は今すごく申し訳ない気持ちで戦っているんですよ。毎日眠れないと思います。鬱になっている人も多いですし。私も含めて、ウクライナに申し訳ない気持ちでいる人がとても多いです。そういう人もいるということは、知っておいてくれたらと思います」

今回のイベント『PLAY FOR PEACE』は、ウクライナとロシア共に平和が訪れてほしいという想いで開催しています。

「ありがとう。早くウクライナもロシアも平和になってほしいです」

話は変わりますが、マリアさんは音楽関係の写真を撮っていたということですが、どんな音楽が好きなんですか?

「けっこう幅広いです。ジャズも、ブルースも、ラップも好きです。何でもっていうわけじゃないですけど、私は音楽のお陰で生きてこられたので。音楽がなかったら日本にいないと思うし、音楽のお陰で日本に残ることにしたんです。旦那もミュージシャンです。だから大袈裟ではなく、音楽がなかったらこの子も産まれていなかったんです」

ロシアの音楽でカッコいいと思うバンドを教えてください。

「最近のロシアの音楽シーンはそんなに知らないのですが、日本人の友達のミュージシャンが大好きな憧れのバンドがいます。レニングラードという、皮肉で反戦を歌ったりするようなパンクバンドです。あとMonetochkaという最近流行っている若い女性シンガーです。詞が深いのですが、メタファーが多いので伝わらないかもしれないですね。ソ連時代も政治を批判するバンドが多くて、みんなメタファーとか使って本当の意味を隠してロックとかを作ったりしていました。そういう時代がまた来ているのではないかと思っています」

今日は日本のミュージシャンたちがたくさん集まっていますが、音楽は国境を越えていろんなものを救ってくれるというのを感じさせてくれますよね。

「そうですね。音楽は本当に素敵だと思います。救われます」

日本にいる私たちに何ができると思いますか?

「愛を込めて、人と接してほしいです。憎しみが一番苦しいんです。怒りや憎しみは本当にこの世を重くする気がします。愛と音楽でこの世界が満ちてほしいですね」

(コウちゃんが自由に動きまわる)こういう風に小さな子どもたちが何も考えずに遊べる時間がまたロシアにもウクライナにも来てほしいですね。

「早く来てほしいです。願うしかないです。祈るしかないです」

今日もたくさんの方が配信を観てくれていて、コメントもたくさん来ています。最後にマリアさんからメッセージをお願いします。

「みなさん、平和を祈りましょう。本当にそれしか言えないです。ありがとうございます」

マリア・ゴロミドワ(Maria Golomidova)

写真家。1982年、ロシア生まれ。8歳から日本の文化に憧れ、日本語を勉強し始める。2005年、ウラル国立大学(哲学部、社会言語学)卒業後、研究生として来日。2009年、東京大学修士課程修了。2007年からカメラマンとして日本で活躍する。活動は主に観光誌、音楽誌、音楽フェス、ライブ、アーティスト写真、CDジャケットなど。2007年から毎年さまざまな音楽フェスのオフィシャルカメラマンとしても活動している。ブッキングマネージャー、通訳、ツアーガイドとしても国内外を飛び回る。山崎まさよし、沖野修也、高岡早紀、三宅伸治など数々のアーティストの写真を撮影。

*プレイリスト
『直してつぎに渡す』いとうせいこう
『Peace In The World』ジェイムズ・ブラウン

「常にマイノリティの側から考えたい」雨宮処凛

photo by 関根渉

雨宮さんはかつて戦地に行かれたことがあるんですよね。

「戦地というか、イラクの戦争直前の2003年2月、戦争の1カ月前にイラクに行きました」

当時のイラクはどんな様子でしたか?

「米軍が配備され、イラク戦争秒読みと言われていた時期です。邦人への退避勧告も出ていたのですが、イラク戦争に反対して〝ここに爆弾を落とすな〟と反戦活動家の人たちが世界中から集まっているという状態でした。当時〝人間の盾〟と言っていたんですけども、私もそういう思いでイラクに行ったのが2003年です。

もともとイラクには1999年に初めて行ったんです。99年というと湾岸戦争から8年後。湾岸戦争で初めて実戦で劣化ウラン弾という核のゴミを兵器に転用したものが使われました。それから8年後のイラクでは、子どもたちが白血病だとか小児ガンで亡くなっていました。けれど経済制裁で、イラクには薬が全く入ってこないという状況だったんです」

現地に行かないとわからないことがたくさんありますよね。ウクライナ侵攻でも映像でいろんな情報を断片的に知ることができますが、私たちの想像も及ばないようなことが現地で起きていると思うんです。私たちはニュースの奥に、どんなことを想像していったらいいと思いますか?

「今日(3月23日)、ゼレンスキー大統領が日本の国会でスピーチして、その後に山東昭子参院議長が、ウクライナで命を顧みず祖国のために戦うことを称賛するような発言をしていました。それを見て、私は〝えぇ?〟と思ったんです。というのも、ロシアの人もウクライナの人も等しく、戦えない、戦わない人たちのことも考えるべきだと思うんです。例えば、ウクライナにも障害がある人がいるはずです。

侵攻が始まってすぐゼレンスキー大統領が総動員令に署名して、18歳から60歳の男性が出国禁止になりましたよね。だから、今日このイベントに出演しているアーティストたちは、ウクライナだったらほとんどの人が出国禁止です。その時に思ったのが、現地で病気や障害がある人はどうなるんだろう?ということです。あとは戦いたくない人。例えば『ニューズウィーク』で、妻と一緒にいたいと言っている男性が、ウクライナ軍の兵士に〝この臆病者を見ろ〟と非難されるという記事がありました。そういうものを見ると、戦えない人が非常時にどういう扱いを受けるのかわかると思います」

ええ。

「例えばアジア・太平洋戦争のときに日本ではどういう扱いだったかということが、『まとまらない言葉を生きる』(荒井裕樹著、柏書房)という本に描かれています。この本には障害者のエピソードがたくさん出てくるんです。例えば障害がある子どもが通う学校の先生が、それまでは教育者として素晴らしいと絶賛されていたのに、戦争が始まったら非国民と言われるようになった。障害児は〝米食い虫〟〝非国民〟と言われるようになって、障害がある子どもたちは戦争中に長野に疎開したそうです。その時に、疎開先で軍部から青酸カリが渡された。何かあった時のために自決しろということですね。そういうような形で、非常時になると戦えない人、あるいは戦争の役に立たない人を吊るし上げることが愛国表現だと思う人たちが出てきます。そういう戦えない人たちが、〝非国民〟〝米食い虫〟〝役に立たない〟とか、〝皇国日本の恥を知れ〟と言われるようになっていくのが戦争だと思うんです」

そうですね。

「当時ハンセン病の施設がありましたが、ハンセン病の人の中には〝こんな情けない病気になって申し訳ない〟と割腹自殺をした方もいたそうですし、別のハンセン病患者は戦争を賛美する詩を書いているんです。『おねがひします鉄砲を』というタイトルの詩です。<鉄砲 鉄砲!/機関銃 機関銃!/ひとつみんなで血書の/嘆願書をださうぢやないか!>(三井平吉『おねがひします鉄砲を』第6連より)というような、戦争を鼓舞するようなことを書いています。このハンセン病の方は病気なので当然、戦争には行けない。なぜこういうことを詩に書いたかというと、戦争の役に立たないとされている人たちは、そういう時代の空気を読んで、〝自分は戦争を肯定して、病気さえなければ自分だって殺しにいく〟くらいのことを思い切り表現しないと許してくれない空気だったからです。だから、戦時中の障害者の文学作品には、戦争を賛美するものがすごく多いということが『まとまらない言葉を生きる』という本に書いてあります。ウクライナの祖国のために戦う人が素晴らしいという、その気持ちはとてもわかります。でもその空気が作られた時に、戦えない人や、戦争に反対する人たちがどういう抑圧を受けるかということもセットで考えないとすごく危ないと思うんです」

確かに。

「ちょうど『戦争と障害者』というタイトルで原稿を書いたんですけれど、結局戦争って障害者をたくさん生み出すんです。身体の障害もですけれど、精神的な障害もです。例えば『帰還兵はなぜ自殺するのか』(デイヴィッド・フィンケル著、古屋美登里翻訳、亜紀書房)という本には、イラク・アフガン戦争から生還した兵士200万人のうち50万人が精神的な障害を負って、毎年250人が自殺するとありました。そういうことを考えると、身体も、メンタルの障害をもつ人も膨大に生み出していて、しかもロシアでは今、1万5000人くらいの人たちが、戦争に反対したという理由で投獄されている状態です。この人たちも、どうなるんだろう?と思います。時代が一方向に動く時って、そこから漏れる人が出る。……まぁ今日集まってる人なんて全員射殺されるようなものじゃないですか。全員戦争反対だと言っていて、しかもミュージシャンという、戦争に役に立ちそうもない人たちですよね。そういう人たちの声こそが真っ先に潰されるので」

戦争を起こした側には問題はあるけど、それをまた戦争で解決していいのかという問題がずっとありますよね。僕は、どこかで違う方法を想像していかないといけないと思うんです。銃を向けられたら銃を取る。その心理を否定はできないですが、でもそれをやっていると雨宮さんがおっしゃったみたいにどんどん犠牲者が増えていってしまう。

「そうですよね」

そしておそらく「弱者」と言われるような人たちが真っ先に犠牲になっていくし、戦争がさらに「弱者」を生み出してしまう。そこをどういうふうにフォローアップできるのかは真剣に考えないといけないですよね。

「そうですね。今日も〝引き続きロシアへの制裁を〟とゼレンスキー大統領が言っていました。日本の世論調査でも、もっと経済制裁を厳しくしたほうがいいという意見が多数あります。私は経済制裁の専門家でもなんでもないので、政府およびロシア国内の一般市民にどういう効果があるかは詳しくはわからないですが、経済制裁という言葉で真っ先に頭に浮かぶのは、イラクに行った時に経済制裁によって病院に薬が回って来ずに目の前で子どもが死んでいくという光景です。〝強い制裁を〟ということが具体的に何をもたらすのか、世論調査で〝もっと厳しく〟と言ってる人たちはどこまで具体的に知っているのかな、と思ってしまいます。でも、それはあまり知らされないことなので。〝ロシアに経済制裁は効いていると思いますか?〟というような世論調査もあるんですけれど、そんなの私たちにはわかりようがない。ロシアに制裁を科して、結局ロシアで一番貧しく弱く、病があったり障害があったりという人たちがまた犠牲になるんじゃないかということを考えると、それ以外の道、違うやり方はないのかなと思いますね」

最後にメッセージをお願いします。

「今日のテーマ、人道支援は誰も文句が言えないですよね。人道支援という形で、私もいろんなことをしていきたいと思っています。ウクライナの障害のある人の話をしましたけれど、ロシアでも病気や障害で戦わない姿勢を見せるとすごく抑圧されてしまうような状況もあると思うので、常にマイノリティの側から考えたいと思っています」

雨宮処凛

1975年、北海道生まれ。作家・活動家。愛国パンクバンドボーカルなどをへて、2000年、自伝的エッセイ『生き地獄天国―雨宮処凛自伝』(太田出版)でデビュー。以来、「生きづらさ」についての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。2006年からは格差・貧困問題、脱原発運動などに取り組んでいる。2007年に出版した『生きさせろ!難民化する若者たち』(太田出版)はJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」世話人。著書に『バンギャル ア ゴーゴー』(講談社)、『コロナ禍、貧困の記録 2020年、この国の底が抜けた』(かもがわ出版)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)など多数。
http://amamiyakarin.com/

*プレイリスト
『WISH』LUNA SEA
『LIKE AN ANGEL』清春

「音楽の力、芸術の力をみなさんがきっと必要としていると信じています」ATSUSHI&ナターシャ・グジー

photo by 関根渉

ATSUSHIさん、今回はありがとうございます。

ATSUSHI「こちらこそ。必要とされるのであれば飛んできます」

そして僕は初めてお会いしますが、ナターシャ・グジーさんはATSUSHIさんとは何度か共演したことがあるんですよね?

ATSUSHI「そうですね。3.11のプロジェクトで知り合って、東北で何度か一緒になっちゃん(ナターシャ)、あっちゃん(ATSUSHI)でやらせていただきました(笑)」

(笑)。ウクライナご出身ということで、お友達やご親戚、ご家族がまだウクライナにいらっしゃるのではないかと思います。

ナターシャ「私は日本に来て23年目になりますが、ウクライナには家族、友達、親戚やこれまでに大変お世話になった方々がたくさんいて、本当に彼ら、彼女らのことを日々心配しています。毎日電話やメールで、無事かどうか、安否を確認するのが日課になっています」

まだ電話やメール、インターネットは通じているという状況なんですね。

ナターシャ「そうですね。町によっては繋がりにくかったり、いまだに連絡が取れていない知り合いもたくさんいるんですけれど……。途切れ途切れだったりはしますが、今のところは連絡が取れています」

今、手に持っていただいているのが、さきほど演奏してくださったバンドゥーラという楽器ですよね?

ナターシャ「そうです。ウクライナの民族楽器です。片手で持っていますが、実は8キロもあります。力持ちです(笑)」

ATSUSHI「何弦あるの?」

ナターシャ「弦は楽器によって若干違いますけど、私が使っているのは63本です」

先ほどの演奏で初めて音を聴いたという方もいたと思いますが、日本でいうと琴に近い楽器なのでしょうか?

ナターシャ「そうです。民族楽器なので、(ウクライナ人でも)どなたか近くにいる親戚や知り合いがこの楽器を演奏していないと、なかなかこの楽器に出会うことが難しいです。ピアノやギターのように家庭によくある楽器ではないです。本当にお琴のような存在ですね」

ATSUSHI「ウクライナから日本に持ってきたの?」

ナターシャ「そうです。日本では手に入らないので。ウクライナでもなかなか手に入らない貴重な楽器です」

ナターシャ・グジー photo by 関根渉

1曲目に演奏してくださったさだまさしさんの『防人の詩』(さきもりのうた)は、どんな思いを込めて演奏されましたか?

ナターシャ「まずこのイベントに参加させていただいたことに関して、心から感謝しています。声をかけていただいて本当にありがとうございます」

ATSUSHI「なっちゃん、今日は来てくれて本当にありがとう。少し気を使っちゃったと言ったら大げさなんだけど、ナターシャもこのご時世でいろんなお話をいただいているだろうし、いろんな心情もあると思ったんですけど、友達なので勇気を振り絞って電話をしました(笑)。〝『PLAY FOR PEACE』というイベントがあるんだけどナターシャどうかな?〟って言ったら、二つ返事でOKしてくれて。僕は単純に友達と会いたかった、ナターシャと会いたかったということなんだけど、今日は本当に来てくれてありがとうございますと思っています」

ナターシャ「こちらこそ、ありがとうございます。本当に今、ウクライナの人たち、そしてロシア語を話している方々、いろんな方々が本当に大変な悲しい、つらい思いをしています。そんな中、自分が演奏することによって、平和について考えてもらうきっかけになったり、ウクライナを身近に感じていただけるきっかけになったり、この戦争を終わらせるにはどうすればいいのかを一人一人に考えていただくきっかけになるのであれば、私は本当に喜んで心を込めて歌いたいと思います。今日はそういう気持ちで参加させていただきましたし、そういう気持ちを込めて楽曲を選んで演奏させていただき、ATSUSHI君に踊っていただきました」

素晴らしいコラボでした。

ATSUSHI「『我がキエフ』という曲は、僕からリクエストさせていただきました。詩を読ませてもらって、自分なりの想いを込めて踊らせていただきました。人種とかを越えて通ずる部分が、音楽と踊りで表現できたらうれしいなと思って。今回、それができた気がしていて、ナターシャ、さすがだなと思いました」

ナターシャさんはウクライナの生まれということですが、生まれた場所はどの辺りですか?

ナターシャ「ニュースで時々聞く名前だと思うのですが、ドニプロペトロウシクというところで生まれました。チェルノブイリ原発で父が働くことになって、幼い頃にチェルノブイリ原発のすぐそばにあるプリピャチという町に家族で引っ越しました。原発事故の後はいろいろな場所で避難生活をしていて、最終的にキエフに避難して、日本に来るまではキエフで過ごしていました」

日本では3.11から12年目を迎えたばかりですけど、今回のウクライナ侵攻では核施設が狙われて、ハッとしました。核施設がやられたらどうなるかは、幼い頃にチェルノブイリ原発事故を経験したナターシャさんには具体的に想像が可能かと思いますが、原発事故での故郷の被害はどんな感じでしたか?

ナターシャ「私が住んでいたのは原発から3.5キロのところで、その後最終的にはキエフに避難したんです。私が避難したキエフの地域は、自分と同じように被曝した子どもたちが避難していました。学校にも被曝した子がたくさんいましたし、近所にもたくさんいて、何かしら健康に問題を抱えながら成長していくという感じでした。パッと目には見えない病気だったり、白血病、ガンという病気もあったり、子どもによってさまざまなんですけれども、そういう子たちの中で一緒に生活をしていたんです。そして、その子たちが今大人になって子供を産み、次の世代に影響がある。事故は36年前ですが、決して終わった話ではないんです。

そういう意味では、私は福島で原発事故が起きた時、とても悲しい思いをしました。自分が経験したことを福島の子どもたちも経験することになってしまったのが悲しすぎて。自分の幼い頃の姿を彼ら、彼女らに見て、なんとか生きる勇気、生きる希望を伝えたいと思って、このバンドゥーラの演奏と歌を通して活動しています。もちろんチェルノブイリのことを伝えるのも、自分のライフワークだと思っています。そして今ウクライナで苦しんでいるたくさんの方々にも、それを乗り越えられる何か希望を感じていただけるように、音楽の力、芸術の力をみなさんがきっと必要としていると信じています。私たちが今日のイベントを通していろんな人にそれが伝わったらいいなと思っています」

ATSUSHIさんも3.11の被災地でずっとイベントをやっていて、音楽の力や人々が願い、想う力をずっと感じてきたんじゃないかなと思いますが。

ATSUSHI「そうですね。偉そうなことは言えないですけど、芸術や文化が少しでもその役割を担えるのであればうれしいなと思います。先日、3.11から11年が経ちましたが、やっぱり語り継いでいくことは必要だなと思っています。語り続けるということが、自分たちにできる役割なのかもしれないなと、11年が経って非常に感じていたことです。今のナターシャの話を聞いてもそうだなと思いました。そして、ナターシャと友達でよかったなと。友達がもし悲しい思いをしているんだったら〝大丈夫?〟って、手を差し伸べられるような関係でみんながいられたら……、みんなが思いやりを持って暮らしていけたらいいなと思っています」

先日、ウクライナ、ベラルーシと取材をしてきたTBSの金平茂紀さんのシンポジウムにお邪魔した時、金平さんがベラルーシにある大きなカトリック教会に行った際に、そこに広島、長崎、福島の土が埋めてあったという話をしていたんです。そういうふうに原発事故を経験したベラルーシの人たちも日本のことを思ってくれている。そういう国であり、そういう人たちなんだよっていうことを言っていたんです。そして、同じ核の被害を被った日本からできることもあるのではないかと漠然と思っています。そろそろお時間ですが、最後にメッセージをお願いします。

ATSUSHI「当たり前ですけど、命を思い合って生きていけたらいいなと思います」

ナターシャ「ウクライナ、そしてウクライナの人たちへの支援を多くの方々がしてくださっていることに関して、ウクライナを代表して心から感謝を伝えたいと思います。これからも長い長いスタンスで、ウクライナの人たちを想って、祈っていただければ大変うれしく思いますので、これからもどうぞよろしくお願いします」

ATSUSHI photo by 関根渉

ナターシャ・グジー Nataliya Gudziy

1980年、ウクライナ生まれ。歌手・バンドゥーラ奏者。6歳の時、父親が勤務していたチェルノブイリ原子力発電所で爆発事故(1986年4月26日未明)が発生し、原発からわずか3.5キロで被曝した。その後、避難生活で各地を転々とし、キエフ市に移住する。ウクライナの民族楽器バンドゥーラの音色に魅せられ、8歳の頃より音楽学校の専門課程に学ぶ。2000年より日本語学校で学びながら日本での本格的な音楽活動を開始する。
http://www.office-zirka.com/

ATSUSHI(高橋淳)

1979年、東京生まれ。1996年にストリートダンスを始め、さまざまなイベントやライブに出演。2001年から約20年間、Dragon Ashのメンバーとして活動。2006年にソロダンサーとしても国内外の各地で活動を開始する。海外では、アジア、ヨーロッパ、アメリカにてパフォーマンスを行い、ロシア文化フェスティバルのアンバサダーを務めた経験もある。2009年に生命力の素晴らしさ、尊さを伝えていくプロジェクト「POWER of LIFE」を発起し、代表として活動している。
https://atsushi-takahashi.com/

*プレイリスト
『防人の詩』さだまさし
『鳥の歌』ナターシャ・グジー


■『PLAY FOR PEACE vol.1』の模様は2022年6月中旬までYouTubeにて全編公開中
https://www.youtube.com/watch?v=PMXm289RwxE