SKY-HIが背負う、勇気と覚悟と責任 「カルチャーは全員を〝当事者〟にしてくれる」
特集「コロナ禍と表現者たち」03
音楽、映画、アートなどの文化はなぜ私たちに必要なのか––。AAAという国民的な人気ダンスグループのメンバーであり、ヒップホップアーティストでもあるSKY-HIの言葉は、常にそんな問いを発している。
SKY-HIが作り上げる音楽、そしてライブでは、人種差別などの矛盾に満ちた世界を救おうとする大きな愛に溢れている。彼がこのインタビューで発する言葉は一見すると攻撃的で刺激的かもしれない。だが、世界を信頼し、より良い世界にしたいという強い思いとより良くできるはずだという世界への信頼が伝わってくる。そんな彼の思いをそのままに伝えたい。
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- 19 Aug 2020
突きつけられた社会の醜さ
自粛期間中はどんなふうに過ごしていたんですか?
「3月1日から予定していたツアーの延期が決まって、その後のライブもフェスもなくなって、すべての音楽活動がしばらくできないって話になった時くらいにコロナ鬱みたいなものが強めにきましたね。ほぼ外出せず、家にこもって曲を作る作業をしていたんですが、だんだんしんどくなっていって、『#Homesession』(※1) という曲を作ってバンドメンバーに投げた頃くらいに鬱があけた感じがします」
しんどくなっていったのはなぜだったんですか?
「外に出なくなって4月に入るくらいから、コロナって徐々に分断や差別を促していくウィルスだなと思い出したんです。アジア人が欧米圏で差別されたり、日本の対中国、対韓国への対応とか、〝自粛警察〟なんて言われる人たちが現れたりもしたけど、それらを見ていて、世の中ってこんなに醜かったんだなという膿の部分をぐいぐい出されている感じ。それを突き付けられて苦しくなったのを覚えていますね」
差別や分断が可視化されてしまった感じはありましたね。
「何も変わらなかったんだなっていう感じでした。BLM(Black Lives Matter)の発端になった白人警察による黒人ジョージ・フロイドの殺害の時も、それまでに映画『ドゥ・ザ・ライト・シング』(※2) があり、2009年にオバマ大統領になって、ヒップホップが世界を席巻して、すべてが変わっていっているように思ったのに、ちょっと蓋を開けたらこういう問題が出てしまうんだなって。
日本の部落差別、ミックスの人たちや在日の韓国人に対する差別も、インターネット上では酷く見えるけど、目に届くところでは改善されているはずだと思っていたら、ぜんぜん変わってなかった。差別なんかなければいいってみんな知っているのに、こんなに変わらないんだなって実感しました」
絆創膏を貼って問題に蓋をしていただけだった?
「〝この傷口、膿んでるよな〟と思って開いてみたらものすごいことになってた、みたいな感じ。俺も要所では大きな意味での愛を歌ってきたし、いろんなアーティストがこれだけの期間を費やして伝えてきたのに何も変わらなかったなら、もう自分が何をしても変わることはないんじゃないか、という感覚。俺はルーツが日本においてはマジョリティだから––自分のさかのぼれる範囲までさかのぼったことがあるんだけど、いわゆる日本生まれ日本育ちの人ばっかりだったから––差別問題をなくすために立ち上がったつもりは最初からないけど、自分が歌っていたこと、自分がずっとやってきた結果、むしろひどくなっていっている世の中。あの時期は、自分が醜い人間にも思えたし、とにかくすべてが嫌でしたね」
※1 『#Homesession』…2020年4月6日にYouTubeでオリジナル版を公開したSKY-HIの楽曲。自身のバンド THE SUPER FLYERSの各メンバーが自宅でセッションした動画を随時公開し、同時にボーカルトラックとステムデータをダウンロード可能にして広くセッションへの参加をよびかけた。
※2 『ドゥ・ザ・ライト・シング』…1989年公開、ブルックリンを舞台に人種差別をテーマに描いたアメリカ映画。監督・製作・脚本・主演はスパイク・リー。タイトルの日本語訳は〝正しい選択をしましょう〟。
変わらないからって改善を求めないのは間違ってる
ポジティブに思えることはなかったですか?
「それでいうと、2つありますね。1つは芸能の人間が意見を発することに対して物議が生まれるようになったこと。例えば、検察庁法案の時が顕著でしたけど、これまでは芸能の人間が政治、社会的な発言をすることに、物議すら醸さない状況でしたよね。それが変わった感覚はすごくあったんです。
政治、社会の問題について発言をする、しないのどちらが正しいのかというと、芸能に携わっていたら、処世術的にしないほうが賢いだろうというのはわかるんです。そういう不特定多数の人に嫌われない生き方はこれから先も残ると思うし、否定するつもりはまったくない。ですが、周りの友達とか芸能の人を見ていてフラストレーションがあったんだなというのをすごく感じたんです。『13th −憲法修正第13条−』とか『ミス・アメリカーナ』とか、優れたドキュメンタリーがすぐにネットで見られるから、どんどん広がっていってるし、人前に立つ人間が〝面倒くさいことになるから発言しないようにしよう〟という流れから、〝発言するから、もうちょっと詳しく知っておこう〟という流れになっているのをすごく感じました。それは絶やしてはいけないと思う。これから若い子が音楽や芸能に携わった時、〝思うことがあっても、答えが出ていないから発言しない〟とか〝面倒だから発言しない〟という選択をしてしまう人を一人でも減らしていきたいと思ったんです」
もう1つは?
「今の芸能って、狂っていることが普通になっているじゃないですか。とんでもないフィクションみたいなイメージがあるというか。それを何とかしていきたいな、とは思うかな。芸能人と芸能人を見ている人の関係値にものすごい大きな問題を抱えているから、それは改善しないとアートが死ぬと思ったんですよ」
その関係値の問題?
「はい。〝人を応援する文化〟と〝音楽を愛する文化〟というのは共存しないのかなと思ってた時期もあるんですけど、BTS(防弾少年団)を見ていて、そんなことはないと実感させられたんです。彼らがBLMに100万ドルを寄付するっていう話もありましたよね。そしたらファンたちも有志で同額を集めて寄付したり、みんなでこの問題を考えようっていうムーブメントになっていったんですよ。彼らはヒップホップとかのブラックカルチャーに影響を受けていて、それをわかりやすく咀嚼して伝えているから、本当に必要な哲学、例えばLove Yourselfというメッセージとか、本当にシンパシーを感じることがたくさんある。彼らは行動もメッセージも、非常に社会と密接している。そもそもヒップホップなんて、社会と密接しかしていないんだから。そこが今までのアイドルグループと違うんですよね。
アーティストのフィクション性から人間性が出てきた時に、世の中はその人間性をどう受け止めるんだろう?と思ったら、ファンの人たちがついてきた。それは革命的なことだと思います。今まで、K-POPのファンダムって問題になることも多かったですよね。そのあたりの話と、日本でのきゃりー(ぱみゅぱみゅ)ちゃんの政治に関する発言への反応や木村花さんのことは繋がっている気がする。画面の向こう側とか、生で目に映っていない人間のことはすべてフィクションに思ってしまうような感覚ができ上がっちゃっているような気がして」
なるほど。
「もともと芸能で成す人って、何かしら一般社会に適応しない部分がある人も少なくないと思うけど、今はその適応してない部分を必死に隠さなきゃいけないから、クリエイションがすごく画一的、均一的になっている。これはすごく大きな問題だと思う。かなり語弊があるのを承知で言うとある程度キャリアを重ねてきた人たちが、それがものすごく不健康なことであることに気がつかないといけないんだと思う。アーティストがありのままでいられて、音楽とかの表現に没頭したら、もっと違うアウトプットが出ると思います。それがちゃんと評価されたり、批評されたりする時代がきたら、音楽はカルチャーとして、もっと大きくなる気がしますね。
発信者が持っている角の部分、最大公約数に適さないものをそぎ落として伝えるという考え方自体は、完全に間違っているとは思わない。でも、今はいろんな人に届けるためにそぎ落すっていうレベルじゃなくて、〝星形のクッキーのパッドに無理にでも練り入れないといけない〟みたいな話にまでいってる気がするから、それに悩まされて、苦しめられて辞めてしまう人も多いんだと思う。そこは問題だと思うし、改善できないはずはないと思うんだけど」
そこを変えていけば、芸能の人たちは自由に発言ができて、やがてみんなも自由に発言できるようになるのかな。
「もちろんそうだけど、0から100になるとかじゃなくて、明日が今日より少しだけ生きやすくなるとか、そういうレベルの地道な変化だと思う。どれだけがんばって結果が出たとしてもBLMのような問題は絶対に噴出するし、〝何も変わってないじゃん〟って悩まされるとは思う。だけど、その過程で救われる人は絶対に生まれるから。何も変わらないからって改善を求めないのは間違ってる。
『みんなも自由に発言できるようになるか』っていう質問に答えると、『ちょっとそうです』ってくらいかな(笑)。多少自由に発言できるようになったとしても、誰もが見えるところで自分の主張を伝える瞬間は、それなりの勇気と覚悟と責任を求められるとは思う。逆に言えば、それなりの勇気と、それなりの覚悟と、それなりの責任があれば、それなりの自由が与えられるっていう当たり前のことが生まれると思います」
〝当事者じゃないけれど、部外者ではない〟という感覚
ポストコロナは、どんな社会を想像していますか? そして、どんな新しい発信の仕方を考えていますか?
「劇的に変わるとは思わないですね。そもそも劇的に変わることなんてないし、少しだけ変わることの繰り返しでしかないと思うから。だから、無理に新しいことをする必要はないし。ただ、〝なあなあ〟をひとつやめるだけで可能性はすごく広がると思います」
どういうことですか?
「例えば、自宅でライブ配信をやる時、この状況だし、たとえ映像や音質が悪くても、そこそこの情熱でやっても、みんなわざわざケチをつけないと思うんですよ。だけど、ちゃんとした機材を使えば、家でもクオリティは上げられます。それをやろうと思うとお金も負担も余計にかかるけど、見た人が得る感情もその分広がるし、やった側も達成感がある。そうやってなあなあにしないことで、少しだけですが、絶対にクオリティが上がる。それって生活そのものも同じですよね」
確かに。
「それは音楽にまつわるビジネス、すべてに言える気がする。アーティストの周りって、いろんなビジネスがなあなあで動いちゃってると思うんです。名指しでいうとアレだけど、日本のメジャーレーベルが抱える問題って、多くはそこだと思う。〝えっ、これって20年前と何も変わってなくないですか?〟ってことが本当に多い。劇的に変えるのは本当に難しいけど、問題意識を持ってひとつひとつやっていけば、少しずつ変わっていく。システムが変わればクリエイションが変わって、クリエイションが変わったらファンの意識が変わって、ファンの意識が変わったら、ひょっとしたら世の中が1ミリくらいは動くかもしれない。だから発信者である0から1を作る人間は、なあなあでやらないとか、問題意識を持つとか、そういうことを絶対に大事にするべきだと思っています」
コロナ禍で忘れてはいけないと思った瞬間を挙げるとすると?
「BLM問題を6月8日に自分のインスタやブログにポストした瞬間。ポストする前、これを書くと黄色人種が首を突っ込んでいる感じになってしまうよなとか、それ以前に言及するのかしないのかも考えたし、すごく悩みました。この問題を言及や主張〝するやつ〟〝しないやつ〟みたいな区分けになるのも嫌だったし、そのこと自体が分断、差別と同時に同調圧力にもなったから。検察庁法案もそうですよね。SNSは実世界じゃないにもかかわらず、実世界と同等かそれ以上の同調圧力が生まれている感じもしたから、安易にそれに加担したくない気持ちもあったし。でも、BLM問題に対しては、当事者ではないけど部外者ではないなという感覚を持ったんですよ。自分が今いる東京においては、僕は非常にマジョリティだけど、職業でいえば相当マイノリティだし。人って、見方ひとつでマジョリティにもマイノリティにもなり得るから」
状況や環境で入れ替わりますよね。
「マジョリティの人は、マイノリティである人間がいること自体を何かしら実感しないと、簡単に無意識のいじめみたいなことは起こってしまう。だからこそ、すべての問題において、当事者ではないけれど、部外者ではないなという感覚を持つべきだって実感があった。だから、もう一回フラットになった感じかな。社会的に良さそうなことだったら全部に首を突っ込むのが正義とも思わないし、逆に社会的に良さそうなことをしない人を悪とも思わないし。同時に、社会的に悪いとされることをした人が必ずしも悪だとも俺は思わないし。
あと、その瞬間その瞬間で人の言っていることなんて、微妙に変わったりしていいと思うんです。その瞬間その瞬間、その人の立ち位置って違うから。誰もが知っている人として発言することもあれば、誰も知らないマイノリティの存在として発言することもあるし。自分のなかに発信をやめる必要がないなという感覚がありました」
部外者、当事者のことでいうと、音楽やアートは部外者性みたいなものをひっぺがしてくれるものだと僕は思うんです。
「全員を当事者にしてくれますよね。映画なんて、最たるものだし。恋愛映画にしろ、宇宙戦争にしろ、まったく当事者じゃないですから(笑)。だけど、観ている側を部外者から関係者に引き上げますよね」
そして、音楽もアートも、当事者性プラス普遍性を持っていると思う。
「もちろん普遍性はあるけど、時代性はありますよね。今でもジョン・レノンの歌は聞かれているけど、今、『Imagine』と同じような歌詞を書いた人がいたら、さして話題にもならないかもしれないし。ケンドリック・ラマーが顕著だけど、社会的な歌がより激化していったところもあるし、求められている気もするから」
そういう意味では、音楽表現者としては面白い時代に突入しつつあるとも言える?
「面白くない時代なんてないんですよ。その瞬間に、何かしらの不満を感じている人が〝こんな時代なんて〟って言ってるだけで、きっとすべての時代が面白い要素に溢れていて、問題も溢れている。そのどこに目を向けるかってことだけど、1カ所にしちゃいけないような気がする。楽観的に面白い時代だなと思うのもつまらないし、悲観的に問題点ばかりを見つめるだけっていうのも人生として嫌じゃないですか。でも、全部に目を向けるには時間が足りない。そのバランスをピックしつつ、自分はすべてのものに関して目を通せていないという自覚を持つことが、これから先の時代では特に大切な気がしますね」
SKY-HI(日高光啓)
2005年、AAAのメンバーとしてデビュー。同時期から「SKY-HI」として都内クラブ等で活動をスタートし、2012年に自身主宰のコラボレーション楽曲制作企画「FLOATIN’LAB」をリリース。KREVA等、多数アーティストの楽曲への客演や各地でのライブも経て、同年の『WOOFIN’ AWARD 2012』のベストオブラッパー部門を受賞。2013年にメジャーデビューを果たす。
https://avex.jp/skyhi/
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https://www.instagram.com/skyhidaka/
インタビュー : ジョー横溝
2020年6月30日 オンラインにて