「思った通りにやるのが自分達だと思っていた」(清春)

 清春さんは、なぜこれまで大手の事務所に属さずやってきたのですか?

清春「僕は22の時に黒夢を結成して、24の終わりに東京に出てきて、25歳でメジャーデビューしているんですが、最初の頃は引く手数多(あまた)というか、結構いろんなところからお話が来ました。まだ若かったというのもあるんですけど、まあ田舎者だったので、東京に行ったらいろんなことが変えられちゃうんじゃないかっていう幻想があったんですね。いわゆる上京物語というか。当時レコード会社や事務所などを含めいろんな人と話したんですけど、〝毎回ちゃんと会議して、ミーティングをして、意見を吸い上げて、やりたいことを聞いて、話し合って決めていきましょう〟っていうことで、もうその時点で嫌だったんです。〝話し合う〟……って何だろう?という」

 (笑)

清春「僕は最初から自分達で決めたことしかやってなかったというか、思い浮かんだことをすぐにやっていてスピード感があった。堅実なプランはなかったですけど、まあ、思った通りにやるのが自分達だと思っていたので、若い時はなんか話し合いとか嫌でしたね。それで大きな事務所に所属する話は断って、自分達だけでレコード会社と契約しようと考えた。
反抗心も何もあったわけではなくて、事務所に入ったことがないものだから、事務所ってどうなのっていうのが分からずのまま、拒絶してました。尖ってるわけじゃなかったですけど」

逆に、事務所経験がないから比べようもないと。

清春「そう、比べようがない。すでに事務所にいる状況でそれを嫌だって言っていたわけじゃないので。アマチュアの時一緒に活躍していた仲間達も事務所に入るとそれまで普通に連絡できて会えてたのになんだか会えなくなるんですよね。それも嫌だったな。最終的にウチは、就職先を決めたくないというか、だからもうこのまま自分達でやろうという感じでしたね」

 なるほど。上先生はいかがですか?

上「私はそんな大した流れではなくて、なんとなく群れから外れたみたいな感じなんです。
ちょうど私たちの世代って伝統的なキャリアパスが壊れていった頃ですよね。大学生だった80年代〜90年代頭頃って当時世界の企業のトップ10の半分以上が日本の企業でしたよね。今は銀行ももうほぼ全て原型をとどめてないですが。
私は両親が淡路島で、神戸で生まれて播磨の加古川で10歳まで育って、18歳まで阪神間。大学から東京に来ましたが、その時に違和感を持ちました。東京大学に入ったんですが、妙に権威主義的なんです。自分たちが国を支えてるんだとみんな思ってるんですね。それがすごく嫌だったんですよ。
年を取ってからわかるんですけど、日本の教育って江戸時代以来、バランス感覚よく、礼を弁(わきま)えるという大企業向き。でも私が育った阪神間は、藩校の伝統を引く公立の学校が少なく、有名校の多くはキリスト教か仏教か酒屋さんが作った学校です。徳川家康の意向で江戸時代に大名がいない地域だったからですね。兵庫県だと例えば私は灘高校ですが、そこは嘉納家という酒屋、菊正宗・白鶴がオーナーなんですね。野球が強かった報徳学園の創立者の大江市松も元は酒造家です。いずれも神戸の御影の出です。そういうところは〝儲かりまっか〟って言って〝あなたと私が良ければよろしい〟ということを教えるんです。それ以外は自由。阪神間の文化と東京の文化が全然違うので、それに慣れた人には合わないんですよ。なんとも言葉で言えない、とにかく違和感があるんですよ」

 言葉では表せない、違和感……。

上「ええ。それで、ある時我慢できなくて、上の人に偉そうなことを言ったら出ていけと言われたんです。その後、40歳を超えてくると自分の仕事がどういうものなのかがわかってきた。我々はいわば患者の召使いなんですよ。ギリシャ・ローマ時代から続く古典的なプロフェッショナルで、情報の非対称で商売をしているんです。患者さんが知らないことを私は知っている。弁護士さんや聖職者もそうですが。〝自己規律を持ってやります。悪いことはしまへん〟って、この精神でお客さん一人一人に向き合いニーズを満たす仕事をしていればあんまり間違いはないんですが、それに気づくのが40半ばを超えてからだったんですね。そう思うと、確かにそれはサラリーマンには向かない、できないんですね。勤務医はサラリーマンですから、患者の言うことより上司の言うことを聞かないといけないんですよ。こういう精神で仕事をしていると、日本のコロナ対策で〝保健所がパンクするから病院に行くな〟なんてありえませんよね。不安な人の意見を聞いてあげないといけないのに」

ええ。

上「で、僕が40歳ぐらいの頃になると大企業は潰れていって、東京都内の病院も大きい総合病院も大体が火だるまになっていったんです。何でもやるから百貨店みたいになっていたんですよね。これはひょっとしたら不幸にも私が90歳まで生きちゃったら食っていけなくなるから早めに出ていった方がいいぞと思いました。大学で教授だった先輩や、大企業だけで勤め上げた先輩方を見ていて、定年後は経済的にも本当に大変になるだろうと。
それまで東京大学医科学研究所の研究室にいたんですが、40代の時に独立しました。その少し前の30代半ばにナビタスクリニックっていう駅ナカのクリニックも仲間と立ち上げていましたが、ある程度自前のお金でやらないと誰かの奴隷になるなと思っていました。皆さんみたいな才能をお持ちの方々と違って、そんなのはないですが、仕事が目の前の人の役に立つんです」

 

清春 photo by 俵和彦

「みなさんはセルフプロデュースなさっているから生き残っている」(上昌広)

患者と向き合うという話を受けて話すと、僕もたくさんのアーティストさんをインタビューしているんですが、大手事務所に所属している人は、なかなか自分の作品とかオーディエンスとは向き合えていない感じがあります。さっき清春さんがおっしゃったみたいに、ミーティングなど違うことに時間を取られてしまっていて。本来、アーティストは自分が作り出すものが全てなんだけど、それ以外のことに時間を取られてしまってみんな摩耗しているなという気がしています。

上「フリーランスのつもりでそのまま独立した人、中にはいらっしゃると思うんですが、多くはダメになっているはずなんですね。私が若い人を指導していて思うのは、若い時に求められる能力って、多分みなさんみたいに自立している人に求められるものと違うんですよ。プロ野球だと選手・コーチ・監督、みんな求められる能力が違いますよね。みなさんはセルフプロデュースなさっているから生き残っている。選手の能力とプロデュース能力の両方を持っている人、後者は段々とついてくるんでしょうが、そういう野村監督みたいな人は極めてまれで、多くは良い選手だけど良い指導者にはなかなかならないじゃないですか。そういう意味で自立の能力がまだついていない方は企業に行った方がいいと思いますが、その代わりに規制されてしまいますよね」

清春「本来僕らロックミュージシャンって社会的にはダメだった人なんですよ。だから早い段階からもう就職とかできる気がしなかった。一度僕は親父の建設業の仕事を継ごうと思って修行に出てるんです。その時もうっすらダメなんだろうなと思っていたので、何年かやってきて、バンド活動をしながら親父の仕事を手伝っていた時には、もう〝お父さんてすごいなー〟〝大人ってすごいなー〟〝こんなことを毎日やってるんだ〟と逆に尊敬できちゃうぐらい自分がダメだった。〝音楽を頑張るから、親父とお袋、もう僕のこと諦めてくれ〟ということだったと思うんですよね、今考えたら」

なるほど。医者の世界でも大学病院などの勤務医と開業医ではやはりかなり違うんですか?

上「勤務医っていうのはサラリーマンですから、そこを離れた途端にお客がついてこないので、そこから自立できる方もいらっしゃればできない方も多いですね。経済的自立ができてる人とできてない人とではそれは活動の幅が違う。できてなければ予定調和というか、上司に怒られんようにするじゃないですか。アーティストでいうと、レコード会社に怒られんようにするとかそういう話ですよね」

みな、そこの中でポジション争いと余計なことをしてクビにならないことに熱心で、全然患者に向かい合えない。そうなると保身に走ってベストな選択肢じゃないことを言わざるを得ないこともあるっていうことですね。

上「でもこういうのはギリシャ・ローマ時代から同じことをやっているんです。目の前の人に、立場に応じて相談に乗って幾許(いくばく)かのフィーをいただくことで食ってはいけるから、ほかのことは自由なんです。制度を批判しようがロックンロールを歌おうが。だからお医者さんっていうのは歴史的に革命家が多い。チェ・ゲバラや孫文も医者ですから。食っていけるので。国家の仕組みに依存しないんですよ。みなさんの領域も固有のファンがいたら依存しないじゃないですか。ロックンローラーや医者のような、ファンや固定客がつくビジネスを権力が嫌がるのはわかりますよね」

 

上昌広 photo by 俵和彦

「今普通にライブをやらない理由はない」(上昌広)

コロナの話を少しすると、このコロナ禍で引退してしまったアーティストがいる一方、同じコロナ禍で清春さんは『A NEW MY TERRITORY』という独自のストリーミング配信ライブを立ち上げたり、今年は初めてフジロックにも出演したりとむしろ活動の幅も広げています。振り返ると大手事務所の人たちはこのコロナ禍で本当に活動が制限されてしまい、やりたいことがやれなかった人が多かった。「これをしてはいけない」という規制で作られる安心・安全の範囲内でみんな活動していたので、ほとんど音楽活動ができず、仕方なく本懐ではない活動をせざるを得ない人たちもいた。そんな中で独自の活動を模索したり、活動の幅を広げたのは相当際立っていたと思います。

清春「僕ら世代のミュージシャンのファンの人たちは、大体40代、若くて30代中後半とかなんで、多くはテレビを信頼してきた世代なんですよね。僕もそうだったし。ニュースでこうだと言われたらこうだと信じるというか、新型コロナの解説にいろんな先生が出ていらっしゃって、どの話を聞いたかによって考え方が左右されてしまう。一応僕は仕事をする上で本当はどうなんだろうってオルタナメディアでいろいろ調べてみたり、人に聞いてみたりしたんですが、テレビだけの人も多くて。テレビで明らかにこれ多めに言っているなって感じる人もいるんだけど、やっぱり過剰に恐怖心を持ったファンもいました。
イベント自粛の話になった時、僕は結構最後まで抵抗したんですよ。2020年だったかな……。最初におかしくなったのは。その時僕はツアー中で、マネージャーには〝やるよ。ツアーを止めない〟と言った。でも、イベンターや制作の人たち、とあるライブハウスや会場の人は、〝来ていただいても、開催できません〟と。レコード会社は休み、テレビ局も入れなくなり、イベンターや大きな制作会社も休むようになってきちゃって、物理的にできない状況になっていったんですね。僕らアーティストがどうするかを選ぶ以前に、全員が動けないっていう状況になった。それで、病んでしまうアーティストがいたり、辞めちゃう人もいたり。事務所も、一応対策を練る事務所もあったり、完璧にしなきゃいけないっていう事務所もあったり。そのうちに、アーティストが政治発言と同じくらいコロナに関して発言することもダメになっていった。なんかハードなバンドほど何も発言をしないんですよね。事務所の共通意識でやらないといけないというふうになっていって。それを見てたらファンの人達もそうなっていくんですよ。ある種、鏡みたいなものだから、ファンとアーティストって。だからファンもライブ参加を制限しようということになる。
2年経ってだんだん解除されてきて、僕らはライブハウスを守ろうっていう運動をしていたんですけど、そういう人たちはライブハウスをすっ飛ばしてフェス参加ということになる。で、フェス全盛の時代に戻ってきて、ライブハウスが貧乏な時代、コロナ前と同じことの繰り返しなんだけどなっていう状態ですね」

ええ。ちなみに上先生は、コロナ禍での音楽業界の対応はどんなふうに見ていましたか?

上「2020年の春先は何がベストなのか分かりませんでした。だけど今はかなりわかっています。特にデルタ株の流行が終わって以降は重症者の割合はぐっと減りましたから、音楽業界について言えば、今普通にライブをやらない理由はないですよ。会場の二酸化炭素濃度を測って換気するとか、ワクチンを打つとか、安全にやる方法はありますよ。例えば今の高校野球では、子供たちにワクチンを打っていたらまず罹りません。福島県相馬市は市をあげてワクチン接種を行っていますが、中高生に3回ワクチンを打ったら2回の人と比べて感染率は10分の1以下に下がっています。高校生みんなに打っていたら、高校野球であんなこと起こっていないでしょう。科学的・合理的にやっていないということですよ。
やらない理由はとにかく、目の前の人のことを最優先にしていないということ。こういう困難においては、何が正しいか分からないから、やりきるしかないんですね。音楽の世界も、リスクを取っても観に行きたい人とやりたい人がいて、これでうまくいったらそっちの方がいいと思うんですよね。
今の感染爆発は現時点(8月初旬)で、すでに東京はピークアウトしていると思うんですが、おそらく8月いっぱいで日本全体もピークアウトして、9〜12月ぐらいは凪になると思うんです。この時期はフルにやったらいいんですよ。ピークの時期は別ですが。日本では西ヨーロッパより大体1ヶ月流行が遅れているので、7〜8月と12月末〜1月、この二つの時期は多少流行しますが。それから、今年の夏の西ヨーロッパも流行していましたが、イギリス、アメリカ、カナダを除けば旅行は一切規制していませんよね。今年の1月にデンマークだったかな、感染者がピークのときに規制を解除してるんですよ。その理由は、流行の季節性が分かるのでこれから下がると考えられたからです。日本もこの夏を乗り切ったら、冬も規制しない可能性があります」

 なるほど。ライブについて言えば、今までは基本的には国の自粛要請に従ってきて、とにかく「ディスタンスをとる」「声を出さない」という状況がずっと続いています。けど、ライブで感情が高ぶってきたときに声を出すなっていうのはなかなか厳しいです。今、そうした自粛の状況を取っ払うには、やはり独自にルールを作って実績を積み上げていく方がいいということでしょうか。

上「そう思いますよ。国の要請は基本的に、隔離のことしか言わないでしょう? 3密やめろとか、家にいろとか、病院に行くなとか。独立系の人がやらんと、大企業がいきなりやるとは思えないですもんね。株価に影響しますもんね」

清春「最近複数のライブハウスから、一発目は清春さんがフルでやってくださいっていう声がかかっています。規制なしの100%で。でも今度は、リスクを負ってやっても大したニュースにならないっていう問題がありますが」

独自のルールを清春さんが作っていった場合、どんな進め方とか、例えばファンの人たちにも納得してもらえるようなルールとしてどんなようなことを打ち出していけばいいでしょうか。

上「それは専門家が科学的に安全だと言わないといけないですよ。科学的な説明が一番納得が得られるでしょう。そして、その結果感染が増えなかったことを発表するんです。コロナはもはや飛沫感染ではなく、空気感染なので、換気が大事なんです。
室内の会場であれば、それこそ二酸化炭素濃度を測ったりする対策が考えられます。ライブハウスは建物の能力によるところが大きいので、二酸化炭素1000ppmを超えたら換気すればいいんです」

 二酸化炭素濃度1000ppmというのはどんな環境をイメージすればいいのですか?

上「例えば、満員電車の二酸化炭素濃度は1000ppm程度です。で、満員電車で集団感染が起こっていないのは、コロナ感染の理解が深まり、換気を強化しているからです。飛行機に至っては、数分で空気が入れ替わりますから、空気感染することなどまずないでしょう。換気が悪いのは、古い雑居ビルなどです。最近のビルは建築基準法により換気設備の設置が義務付けられていますが、昔のものにはないです。こういうところでは感染のリスクが大です。飲食店など商売の種類以上に建物に依存します。ただ、そういうところも、フィルター付きの空気清浄機を設置することで、ウイルス粒子を吸着し、感染リスクは大幅に減ります。要はやりかたです」

なるほど。

上「要は建物の能力、客層などに応じてケースバイケースでやればいいんです。具体的な対策としては、換気、ワクチンだと思いますけどね」

例えば、清春さんは直近だと10月30日のライブです。

上「10月下旬ならほぼ感染は底ですし、限りなく安全ですよ。去年のその頃は凪でしたから」

 

2022.5.20 音楽イベント『The VOICES vol.1 SION×清春』(主催:君ニ問フ) photo by 森好弘

「〝その感覚を誰が植え付けたか〟というのは〝それを誰が戻していくか〟っていうことでしかない」(清春)

日本の場合はライブハウスに対して特にレギュレーションが厳しく、それが解けないままなんです。なぜかというと、厚生労働省に新型コロナ対策を助言する専門家組織にライブハウスに厳しい専門家がいて、その人の意見に厚労省がずっと従ったままだからです。そしてそれがずっと呪いのように音楽業界を縛っています。

清春「今ではチケットを発売する時、Twitter等でライブのお知らせとともに必ず感染対策のお知らせがついていて、大体それは注意事項、一定距離離れましょうというアイコンや、マスク着用とか発声NGのアイコンとかが描かれていますよね。その代わりに、先生に文章を書いていただいてチケットの右側に〝大丈夫です〟って書いてあったほうが、影響が強いんじゃないかなって思うんですよね」

上「私は科学的に正しいと思うことはなんぼでも言いますよ。当初は集団感染も発生しましたよね。あのインパクトが強かったと思うんですけど、今や事情は全く変わっているので。あの時はワクチンもなければ空気感染かどうかも分からなくて、あの状態で起きたのと今は違うんですよ。で、ライブハウスは建物によって本当にまるっきり違います。ワクチンを打った人は違うし、若いかたは百歩譲って自分は罹ってもいいという人も当然いる。コロナはいつか必ず罹ります。ワクチンや罹患によって免疫を獲得するので、罹ってもいいという人もいるでしょう。
デルタ株の時は日本でも高い日は死亡率が5%あり、20人に1人が死にました。5%はきついですよ。しかし今、今年1月以降は0.1%、1000人に1人です。世界は今年のオミクロン株流行以降、規制をしていません」

清春「その最新情報をやっぱり更新できていなくて、2年前の情報で固まったままの人が多いんですね」

いまだにコロナ規制に関しての発言はタブーな感じがあります。ライブのMCでもコロナに関しての発言はみんなほぼ一緒で、「声は出なくても感動は伝わってきます」というたぐいのことは言います。けど「もうちょっとこの状況をなんとかしよう」ということを言ってるのは清春さんとか佐藤タイジさんとか一部の人です。タイジさんは野外なら安全だから規制を緩めてライブをしようと言っていますが、ほとんどの人はそういうことを言わない。もう少しみんな合理的な判断をしていけばいいのにと思いますね。日本人は合理的な判断よりは情緒的な判断をしますから。こういう対談を機に、合理的判断をスタンダードにしていけたらいいなと思っています。

清春「何が正しいのかっていうことがよく分からなくなってきていますよね。〝自分にとっての正しいこと〟だって言っているんですけど、それが〝群れにとっての正しい〟になっているんですよね。コロナ禍でいうと〝正しいことをしたいので、マスクをします〟みたいなことですね。この2年間、〝正しいことってなんだ〟とか〝大人なことってなんだろう〟って、ずーっと僕は思っていましたね。逆に、そう思わせてくれた2年間だったっていう面でもあるんですけど。
例えば、人の財布を盗ったりとかは正しい・正しくない以前の問題じゃないじゃないですか。じゃあ、ドアを開けて帰る時にそっと閉めるというのはどうだろう。これは正しいか正しくないかっていうと、マナー的に正しいと思っている人もいれば、早く帰らなきゃと思って勢いよく音を立てて閉めても問題ないと思う人もいる。そういう差が分からなくなってきているような時代が、コロナを通じて来たなと思いますね。まあタバコもそうですね、昔はかっこよかったんですけど、正しくないことになっちゃって、もはや悪になっちゃってる。〝今時タバコ吸ってるんですか?〟って言う人もいる。世界レベルでいえばそうでもないといったことが日本で認知されるのは結構遅かったりするので、これからなかなか時間がかかるでしょうね。お金を払ってるお客さんがライブやイベント運営側の苦労を気にしてるのは変だしかわいそうですよね」

上「我々の業界は患者さんに対してベストを尽くすことを使命としています。それは近代国家ができる前からなんですが、この概念は数々の試練があってコンセンサスになってるんですね。例えば第二次世界大戦のドイツのナチスの軍医は、上司の命令に従って人体実験をしましたが、戦後のニュルンベルグ裁判でその医師は処刑されました。命令された通りにやったのに、〝お前は医師だろう〟〝神様に誓って患者を救え〟と。その後にヘルシンキ宣言で患者を最優先するって言ってるんです。
国家に対しての、社会に対しての利益と顧客の利益がしばしば相反します。この相反は世界中どこでも起こりますが、先ほど言ったように医師っていうのは患者のことだけ考えなきゃいけないと近代国家はコンセンサスにしています。
これ同じで、例えば皆さんアーティストは誰を向いてるんだって話になるのだと思います。ファンを向くんだと。一方、そうじゃないスタンスの人もいてもいいんですが、両方の議論をへて、やがてコンセンサスになるはずなんですよ。
でも皆さんみたいなアーティストは、ファンつまり顧客を持っておられるので、その方々からフィーをいただく時にどうやればいいんだっていったら、顧客によって違うはずですよね。世界はその議論してるんです。顧客が大切だって。国に丸投げしたりしないんですよね。ガリレオ・ガリレイは〝科学的な正しさは、権力は保証できない〟と言いました。正しいものはケースバイケースだし、権力・権威は保証できないから、個別にやるしかないということです」

清春「ああ、名言ですね。〝権力は保証できない〟、本当にそうですね」

10月のライブでは上先生にステートメントを書いてもらった上で、そのライブが安全だったっていうことをライブ後に発信して、それで結果を積み上げていくことをやりたいですね。ただでさえ日本の音楽業界って海外に比べて3周ぐらいも遅れているので、こうして取り組んでいかないと、おそらくもっと遅れてしまうと思います。もっとも、それを清春さん一人に背負わせてはいけないのですが。

清春「いやいや、僕は背負ってないですから(笑)。まあ、やっぱり〝その感覚を誰が植え付けたか〟というのは〝それを誰が戻していくか〟っていうことでしかないのかなという気がしますね」

上「国とぶら下がっているメディアが植え付けたんでしょうが、多分そういうのはインディペンデントなみなさんが個別解をやっていき、個別突破するしかないんだと思います」

 

photo by 俵和彦

公演情報
『2022.10.31 LIVE AT 新宿LOFT 25TH』
10月31日 (月)新宿LOFT
OPEN 18:00   START 19:00
https://kiyoharu.tokyo/
https://anewmyterritory.zaiko.io/e/loft25th


清春(アーティスト)

1968年、岐阜県出身。1994年に黒夢としてデビュー。1999年、事実上の解散後、同年にsadsとして再デビュー。2003年にバンド活動を休止し、清春として3度目のデビュー。シンガーソングライターとして活動する。https://kiyoharu.tokyo/

上昌広(医学博士・特定非営利活動法人「医療ガバナンス研究所」理事長)

1968年生まれ、兵庫県出身。東京大学医学部医学科卒業、同大学大学院医学系研究科修了。内科医(専門は血液・腫瘍内科学)。2005年10月より東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステムを主宰し、医療ガバナンスを研究。医療関係者など約5万人が購読するメールマガジン「MRIC(医療ガバナンス学会)」の編集長として、積極的な情報発信を行っている。https://www.megri.or.jp/