〝LIVE HOUSE NEVER DIE〟

新宿LOFTの物販コーナーに並ぶこの一際目立つメッセージが書かれたTシャツは、コロナ禍による厳しい経営状況が続く中、不屈の精神で闘うLOFTプロジェクトのために清春が作成し、LOFTに寄贈したものだ。2020年4月に安倍首相(当時)が緊急事態宣言を行ってから、ライブハウスは世間から「クラスターを生む危険な場所」と認識され、制限が求められた。そのため音楽業界は一斉に活動を自粛し、〝死ぬ〟ほかなく、多くのライブハウスが姿を消したし、営業を続けるところも、赤字経営が続いた。一方、その2年半の間に新型コロナについての知見は蓄積され、ワクチンも普及。また、海外の状況を注視すれば国内感染流行のトレンドも十分予測可能になってきた。しかし音楽活動の厳しい制限は2022年の10月時点でも2020年時点のまま。業界団体の働きかけで徐々に緩和されたガイドラインにも開催には検温・消毒・マスク着用に加え、距離の確保、声出しの制限、といった事項が並んでいた。距離を確保した会場は閑散とし、コロナ前の活気にはなかなか戻れない。この状況は音楽業界を支えてきた人々がそこを去らねばならないことを意味していた。

新宿LOFTを含む10店舗のライブハウスを経営するLOFTプロジェクトはこうした状況を変えるため、専門家の助言を受けながら、さまざまな取り組みをしてきた。例えば、2021年4月の『ソラリズム』、翌2022年4月の『野外ライブハウスLOFT』と、感染リスクの少ない屋外でライブを開催するなどその時々にできることをもがきながらコロナ禍で試みてきた。そうした段階を経て、海外のライブ状況なども参考にしてライブハウスでフルキャパのライブを行うことを決意し、清春に話を持ち掛け、実現したのが10月31日の新宿LOFTでのライブだった。

「リスクを把握しながら、科学的にやっていくことが大切」(上昌広)

一方、LOFTサイドの提案を受けた清春も単なる勢いでフルキャパ・制限なしのライブを行ったわけではない。政府方針をただ鵜呑(うの)みにする音楽業界に対して「コロナ禍でのライブの在り方は、自分たちで考えるべき」と主張してきた清春だが、それは決して独りよがりのものではなく、今回も専門家の意見を聞き、感染のリスクが低いことを確認してからの決断だった。

清春は、以前本メディアで対談し親交を深めた上昌広医師に10月に制限なしでライブを行う場合の感染リスクに関して意見を求めた。清春からの質問に上医師は、「開催時期となる10月末は国内外の状況を見て流行が収まると予測されるので感染のリスクは低いし、会場のCO2濃度が上がらなければ、感染のリスクは低い」と助言した。それを受けて、事前に会場のCO2濃度も調べ、さらにライブ当日も会場の換気とCO2濃度のモニタリングをしながら行った。科学的な判断材料をもってのライブ開催だった。

ちなみに、ライブ当日のCO2濃度は観客が全員入った状態でドアを開放して500ppmほど。新宿LOFTに来た上医師も「建物自体の換気能力はかなりあるようだ。これならまず問題ないでしょう」と好感触。「今(10月末)は流行していないのだから、どんどんライブをやったらいい。やらない理由がないです」と強調した。以下は終演後にもらった上医師のコメント。

上「まず、みんなが一律に自粛している中で、今回自分達の価値観、判断で行ったことは素晴らしいと思います。新型コロナは、流行し始めでまだ何もわかっていなかった時は感染するリスクも死亡率も高かったが、そうした状況はもう終わっている。オミクロン株が主流になってからは怖い病気ではなくなった。そうすると、どこまでリスクを取るかは本人次第になります。罹りたくない人は行かなければいいし、大丈夫だという人は行けばよい。このライブハウスでは感染対策も換気などできることはしっかりされていたと思います。当然、これだけの人が地下2階の空間に集まったらリスクはゼロにはなりません。どこまでリスクを負うかは一人一人違うので、国が一律に決めたりできることではないんです。そういう意味で言うと、清春さんが今回リーダーシップをとって進められたのは素晴らしいことだと思います。

今後もリスクを把握しながら、科学的にやっていくことが大切になると思います。恐れすぎないことです。もちろん、高齢者などリスクの高い方が大流行の時期にこういう場所に来ることはお勧めしませんが、今のような流行が収まった時期にはどんどんやればいいと思います。流行期は若い方やワクチン接種をした方など重症化のリスクが低い方を対象に行うなど、科学的に行えば可能でしょう。ライブでは避けられない〝接触〟に関しては、コロナはそもそも空気感染する病気なので接触そのものの影響はたかが知れていると思います。リスクがゼロにならない以上は、ワクチン接種をしたり、換気をしたり、大流行の時はもちろんマスクもしたほうがいいでしょう。マスクで2割程度抑えることができますから。そのようにしていればそんなに恐れる必要はないと思います。

ライブが始まる前はCO2が400〜600ppmだったので、この建物自体の換気効率は極めて良い。扉を閉じてライブが始まると上昇し、一時4000ppmを超えることもあったが、流行期ならこの環境で感染するリスクは高くなりますが、今は流行していないですよね。そういう意味ではリスクは低いと思います。リスクがある方や、今感染するのは望ましくないという方は参加を控えるという判断をすればいいと思います」

2022.10.31清春『LIVE AT 新宿LOFT 25TH』photo by 森好弘

「ロックが突破しないで誰がするの」(加藤梅造)

ライブを企画したLOFTプロジェクトの社長・加藤梅造は、「いろんな人の支えによってこの場所を守ることができて、ようやくひと段落した感じで感無量です。1年くらいなら頑張れると思ったが2年以上落ちつかない状況で、借金ももうできないしミュージシャンも疲れていく状況で、大丈夫かな、維持できるのかなとずっと不安の中で耐えてきた」と2年半を振り返った。以下は終演後にもらった加藤のコメント。

加藤「2020年、初めて緊急事態宣言が出されたあの時はよくわからない状況でとりあえず規制をしていた。徐々に再開していく中で、コロナのことも分かってきてワクチンもできたから緩和していっていいはずなのに、ライブハウスを含む多くの業界は2020年のまま止まってしまっていた。(制限は)商売上のつらさもあるが、ロックはそもそも自分をどれだけ解放するかというもの。お客さんは日常を離れて〝自由になるために〟来ているはずなのに、これだけ制限があればアーティストも観客もつらいものがあるだろう。どうやって以前のように〝発散できる場〟にできるかという話をずっとしてきた。清春さんとは1年前くらいから〝早くやりたい〟という話をしていた。なかなか予定が合わなかったが10月31日が空いていて、この日は清春さんのファンにとっても思い出深い日。そして黒夢のファンなら誰もが知っている『1997.10.31 LIVE AT 新宿LOFT』からちょうど25周年というタイミングだったので提案したら、すでに他の予定が入っていたのを調整してくれて実現した。

〝ロックが突破しないで誰が突破するの〟と思う。といっても、無謀なことがしたいわけではなくて、専門家に監修してもらったり欧米の状況を調べたりしながら大丈夫なラインを模索している。ガイドライン上もすでに会場のキャパ100%の収容率で実施するのはOKになっている。感染対策自体はもはや儀式のように続けているけれど、どれだけ意味があるのかというのは考えないといけない。今までと同じように体調が悪ければ当然家で休んでもらい、それぞれが自分の体調を管理してもらえばいいだけの話で。

〝コロナ前に戻る〟というよりは、今後は〝コロナを経てどういうライブをやっていくべきか〟というのを考えて一歩踏み出さないと。今後もまだまだ知恵を絞ってやっていくつもりだ」と、加藤は常に前を向いている。

2022.10.31清春『LIVE AT 新宿LOFT 25TH』photo by 森好弘

「それぞれ自分の意思を持って決めよう」(清春)

さて、ライブだが、この日を心待ちにしていた500人超のファンは列をなして開場を待ち、一人ずつ受付を済ませて会場内へ入っていく。

定刻を少し過ぎてライブがスタート。場内にも、チケットを買う際にもコロナに関しての規制がなかったので、清春がステージに上がると自然と大きな歓声が上がる。満員の新宿LOFTに歓声が響くのは約3年ぶりだ。清春も前日に4時間近いライブをやったと思えないほどの歌声を1曲目の『JUDIE』から聴かせる。しかも、コロナ禍で清春の歌は圧倒的に進化した。それだけではない。この日の編成もギターとパーカッションのみ。ジャンルレスなサウンドと、圧倒的な清春の歌で、オーディエンスがさまざまな束縛から解き放たれてゆくのがよくわかった。15曲目、『ガイア』を歌った後、清春は言葉を選びながら「自分で考えて決めること」の大切さを伝えた。

清春「黒夢の時から憧れて初めてワンマンライブを行った新宿LOFT。やっとここまで来た、と思えた場所。あるタイミングごとに帰ってきたい場所。今日のライブでLOFTは、元のLOFTであり新しいLOFTに変化しようとしてる。

僕は後悔の数が人生だとは思っているが、例えば大切な人に誘われたのに事情があって断ったとして、〝あれが最後になってしまった〟という後悔がありうる。2年半の間、誰もがライブハウスが危険だと考えて行かなくなった。今は各地のライブハウスも再開しているけど、まだ規制が残ってる。僕は〝自分で、後悔するかしないかを決める〟のだと思う。誰かの様子をうかがって〝あなたはどうする?〟ではなくて、〝私はこうする〟って。

それぞれが自分の意思を持って決めようっていうのが本当の平和なのだと思う。でもこの2年半はみんなが同じ理由で〝ライブハウスは危ない〟と思ってた。これは恐ろしいことだという気がしていた。そうして他人事だと思って遠ざかっている間に、こういう場は無くなっていってしまう。ここは〝我々の空間〟を貸してくれる、大事な役割を果たしている場所。できればここ、新宿LOFTがいいじゃない。僕が憧れたライブハウス。みんなも来た記憶がたくさんある。〝また来た!〟って思える場所。〝ライブハウスがなくなってしまう〟という後悔、〝あの人に会っておけばよかった〟という後悔を残して欲しくない。

僕は他のミュージシャンももっと考えるべきだと思う。この2年ずっと感じてた。ミュージシャンも事務所も、活動を制限する方向で萎縮してた。そして、それはそのファンの人にも連鎖して〝ミュージシャンの人がそう言っているから(ライブは)ダメなんだ〟という思いが広がってしまう。〝ダメなんだ〟って簡単に思ってしまうことが〝ダメ〟なんです。僕は〝(事務所やミュージシャンがそう言ってても)関係ないんじゃない〟ってよく言っているけど、本当は関係ないとは思っていない。みんなが嫌がることは嫌だから。でも、そういう主流と違う意見は僕を含め独立している何人かしか言えない。その(違う意見を言う)役割として今回の〝リ・オープニングセレモニー〟とも言えるライブを任せてもらった。〝清春さんは尖ってる〟と言われがちなんですが、ブレないだけ。こういうふうになりたかったからこうしてる。人気がある時に安全な方向に行こうとするのはやめたほうがいいんじゃないかって思う。振り返ると、僕らは大きく活動してた時期にも結構めちゃくちゃなことをしてきた。でもそれは若さからじゃなくて、そういう人生を選んだから。

僕も他のミュージシャンも考え方が違うし、みんなも、他のいろんなアーティストのファンも考え方が違う。そして今日来てくれた人たちの中でもまた一人一人違ってる。一人一人が思いとかビジョンとか価値観が違う中でライブをやって、それでも会場が一つになった瞬間というのが素晴らしいと思うんだ。ライブハウスはそういう場所。その一回一回をやめることで何百日もの後悔をしたくない。新宿LOFTでのライブもこれから数を重ねていくつもり。一回一回、前回よりももっと集中して精いっぱい楽しませようとそういう気持ちなので、ぜひまたLOFTに集まってください」

声出しを制限しなかった今回のライブでは、観客との掛け合いが続いた。アンコール最後の曲は25年前のこの日にも新宿LOFTで演奏した『少年』だ。

〝わずかな祈りを繰り返し 少年は信じてる 誰の声より誰の夢より……〟

観客が応える。

〝逆らう事 逆らう事〟

〝疑う事 疑う事〟

途中清春は「We Are Rock’n Roller!!」と大きく叫んだ。

そして『少年』の最後に〝いつまでも いつまでも〟との掛け合いを何度も繰り返した清春。そこには、〝LIVE HOUSE NEVER DIE〟とTシャツの背に綴った時と同じ心情があったように感じた。ステージから降りてきた清春に「素晴らしいライブでしたね」と声を掛けると、「ありがとう。やっぱり変えられるより変えたいよね」と言ってニコリと笑った。

2022.10.31清春『LIVE AT 新宿LOFT 25TH』photo by 森好弘

清春(アーティスト)

1968年、岐阜県出身。1994年に黒夢としてデビュー。1999年、事実上の解散後、同年にsadsとして再デビュー。2003年にバンド活動を休止し、清春として3度目のデビュー。シンガーソングライターとして活動する。https://kiyoharu.tokyo/

上昌広(医学博士・特定非営利活動法人「医療ガバナンス研究所」理事長)

1968年生まれ、兵庫県出身。東京大学医学部医学科卒業、同大学大学院医学系研究科修了。内科医(専門は血液・腫瘍内科学)。2005年10月より東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステムを主宰し、医療ガバナンスを研究。医療関係者など約5万人が購読するメールマガジン「MRIC(医療ガバナンス学会)」の編集長として、積極的な情報発信を行っている。https://www.megri.or.jp/

加藤梅造(株式会社ロフトプロジェクト代表取締役)

1967年、愛知県出身。もともとロフトの常連客だったが、IT会社を辞め、アルバイトとして入社。新宿・歌舞伎町のトークライブハウス「LOFT/PLUS ONE」店長などを経て、2018年4月より現職。http://www.loft-prj.co.jp/

 

左から上昌広・清春・加藤梅造 photo by 石井麻木